どうも村田です

国家神道体制を
成り立たせている要素
というのが3つあって
1つは帝国憲法なのだ。
「天皇と直結する
国家神道の公的地位を
これによって確立した
んだ」というわけなのだ。
2番目が教育勅語で
国家神道にイデオロギー
的基礎を与えた教典
なのだ。
さらに大正15年に
できた治安維持法
なのだ。
本来共産主義を
取り締まるための法律
だが、それを
「国家神道の教義を守る
ための弾圧法だった」
というふうに位置付け
るのだ。
さらに、昭和15年に出た
宗教団体法、これは
「国家神道の他の宗教に
対する君臨を完璧にする
ための宗教法だった」
というふうに説明するわけ
なのだ。
今度は村上さんの時代区分
だけれど、国家神道の時期
を4つに分けているのだ。
形成期、教義的完成期、
制度的完成期、ファシズム
的国教期なのだ。
最初の形成期というのは、
明治維新から明治20年代
までを指して、
「近代天皇制国家成立期
の国家神道」と呼んで
いるのだ。
次の教義的完成期は、
帝国憲法の発布から
日露戦争までを、
「近代天皇制確立期
の国家神道」と言って
いるのだ。
さらに、制度的完成期は
明治30年代末から昭和初期
で
「日本資本主義が帝国主義
化した時代の国家神道」
だとしているのだ。
最後がファシズム的
国教期だが、それは
満州事変から
太平洋戦争の敗戦までを
「天皇制ファシズム
期の国家神道だ」
というふうに言うのだ。
彼に言わせると、
「国家神道のイデオロギー、
思想内容は時期によって
変化している」というのだ。
まず、国家神道の
教義は教義的完成期に
できるわけだが、
その時の中心は天皇崇拝
を軸とした排外主義外国を
排除するものだった
ということなのだ。
ところが、教義的完成期
の末期において、
侵略の教義、つまり
「日本が外国を支配する
のは当然だ」という教義が
付け加えられて、
「ファシズム期において
はこの侵略の教義が国家神道
イデオロギーの中心になった」
というふうに主張している
のだ。
この村上国家神道論の
特徴を言いますと、まず
「ファシズム的国教期を
国家神道の絶頂期で真価は
遺憾なく発揮した時期だ」
というふうに言うことなのだ。
つまり、
「満州事変以後の姿こそ
国家神道の本質なのであり、
明治維新以降の歴史は
国家神道がその正体を
次第に露呈していく、
右肩上がりの過程だった」
というふうに説明する
わけなのだ。
こうやって作り上げられた
国家神道という幻想を
憲法の世界で広めた、
あるいは定着させた人物
が宮澤俊義という東大の
先生なのだ。
戦後日本国憲法を定着
させていくうえでも、
大御所的存在であった人
なのだ。
彼は昭和46年12月に出した
『憲法Ⅱ』という有斐閣が
出した本の中で村上重良の
『国家神道』
を参考文献として挙げて、
次のように説明している
のだ。
「明治憲法は神権天皇制
を根本義とし、その当然の
結果として、
天皇の祖先を神々として
崇める宗教、神社または
随神(かんながら)
の道をほかの宗教と
同じように扱うことを
好まなかった。
ことに明治憲法の
基本理念とされた
天皇崇拝の精神的基盤
を固めるために、
天皇の神格の根拠として
の神社に対して国教的
性格を与えることを必要
と考えたのだ。
こうして国家神道が
成立したのだ。
そして一般国民に対して
も神社参拝を強制し、
ことに公官吏に対しては
公の儀式として行われる
神社的儀式に参列する
義務を負わせたのだ。
教育についても、神権
天皇主義が明治以来、
国体の本義として
日本中の学校でやかましく
教え込まれた」と言って、
「明治の最初から現人神
(あらひとがみ)教育が
徹底していたのだ」
と戦後の憲法学者たちに
向かって説明したわけな
のだ。
宮澤俊義は、昭和に
活躍した戦前も知っている
憲法学者だったので、
その人が
「昔はこうだった」
と言えば、
そして偉い先生だから、
その先生が
「昔はこうだったよ」
と言っていることに対して、
「本当にそうですか?」
という弟子はまずいない
わけなのだ。
そういうふうに、
その時代を経験して
いない戦後世代から見て
反論しようのない
ポジションから、
彼は国家神道論を戦後
の憲法学者に説いて見せ、
定着させていったと、
こういうふうになって
いるわけなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

