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見るんじゃ

どうも村田です

「政治教育および

宗教の三者の合体

した国家神道が

明治維新以来、

右肩上がりの発展を

続けてきた結果、

今日(こんにち)では

驚くべき上昇を遂げ、

前代未聞の強力なもの

になった」とあるのだ。

その中身については

3つ挙げていて、1つは

「天皇を神なりとする学説」

2つ目は

「先祖代々の神々がこの

国土と人民の上に特別な

加護を垂れたもうとする信念」

3番目が

「日本が救世主の使命を

担っているという教義」

なのだ。

つまり、

「世界を救う使命が

日本にはあるんだ。

この信念に基づいて、

日本は大東亜戦争を

戦っているんだ」

というふうにホルトも

説明するわけなのだ。

このホルトムの説を

受け継いで昭和20年

12月15日に神道指令が

書かれるわけだけれど、

これを書いたのは、

GHQ民間情報教育局

教育宗教科宗教班の

責任者だった

W.K.バンスという人で、

「彼は本当に熱心に

ホルトムの本を読んで

神道指令を書いた」

というふうに言われて

いるのだ。

だから、神道指令が

持っていた国家神道観と

いうのを簡単に言うと、

「神話に由来する神聖な

天皇、国民、国土という

思想が侵略戦争

イデオロギーとして悪用

され、このイデオロギーを

国家管理された神社と教育

を通じて

国民に注入する装置が

国家神道だった。この

国家神道を破壊するために

神道指令は出された」

ということになるのだ。

この神道指令から、

「国家神道」

という言葉が日本人の間で

広がっていって、

戦後の国家神道論の

1つの出発点になるわけ

なのだ。

この神道指令に端を

発する国家神道が次第に

巨大化していくわけなの

だけれど、

その原点には2つの

流れがあるのだ。

1つは日本の独立後に

文部省宗務課に宗教者

たちが集まるのだけれど、

そこで梅田義彦や

井上恵行(えぎょう)

といった人々によって、

「加藤の国家神道論が

戦前の通説だった」と

いう説が広がられていく

わけなのだ。

もちろん、前にも

申しあげましたけれど、

加藤の説というのは、

明治の終わりから大正に

出てきた新説であって、

それが有力化していくのは、

昭和0年代から特に

昭和10年代に入ってから

なので、

決して通説と言える

ようなものではなかった

のだけれど、

戦後の研究者が

戦前を振り返って、

「加藤の説が通説だった」

というふうに言い始めた

のだ。

それが1つなのだ。

もう1つは学界で

藤谷俊雄や村上重良と

いった人が現れて、

次第次第にこの幻想を

膨れ上がらせていくわけ

なのだ。

まず、藤谷俊雄という

人物なのだけれど、

彼は浄土真宗大谷派、

即現寺の住職で、

昭和30年6月に

『日本宗教史講座』

という第1巻の中で、

「国家神道の成立」

という文書を書いて

いるのだ。

この中で、彼は

国家神道の期間を

神道指令からさらに

伸ばして、

幕末から

「国家神道の復活」

という用語で、

例えば孝明天皇の

いろいろな神社に対する

攘夷祈願や、

神祇官の再興の運動と

いったものを

「国家神道の復活」

という形で呼んで、

この辺から国家神道と

いう時期に含めてくる

わけなのだ。

そして、慶応3年末から

明治4年までを

「神道国教化政策の時期」

といって呼んで、

さらに明治4年から

敗戦までを一貫して

「国家神道の成立」

という題で呼んでいる

のだ。

このようにして、

まず時間的に国家神道が

拡大されたのだ。

さらに、国家神道の

構成要素についても、

神社だけではなくて、

神社以外に皇室祭祀

(さいし)を加えてみたり、

それから戦前には

「神社は宗教ではない」

という説があったのだけれど、

「それも国家神道の

1つの要素である」

としたのだ。

さらに

「帝国憲法28条にいう

臣民の義務も国家神道

の一部である」さらに

「教育勅語」という形で、

その国家神道の要素を

膨らませていくわけなのだ。

この藤谷俊雄さんに

よって広げられた幻想を

さらに大きなものとして

完成の域まで持っていった

のが村上重良という人なのだ

その代表的な著書がまさに

そのものずばりで、

昭和45年11月に出た

岩波新書の

『国家神道』という本

なのだ。

この中で、まず村上さんは

「国家神道というのは

どういうものか」

というのを説明している

のだけれど、

彼の言う国家神道と

いうのは、皇室祭祀

(さいし)、

皇室神道と神社神道

合わせたものなのだ。

これが国家神道で

「この国家神道が教派神道

や仏教やキリスト教という

ほかの宗教の上に君臨して

いる。押さえつけている」、

それを「国家神道体制」

というふうに見るのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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