どうも村田です

「天皇を現人神
(あらひとがみ)
として信仰する
国体神道、それと
合わさった神社神道、
それが国家的神道と
なるものが
日本に存在していて、
それが全国の学校で
子どもたちに教え
られているんだ」
ということが、
日本の現実として
昭和元年の現実として
アメリカに伝えられた
ということになるわけ
なのだ。
しかし、これは事実
とは異なるのだ。
それはどうして明確に
言えるかというと、
加藤自身がそういうこと
を言っているからなのだ。
昭和10年10月に出た
『神道の再認識』
という本の中でこんな
ことを書いているのだ。
「なるほど。学校では、
教育勅語を式日に奉読する。
しかし、その教育勅語を
下し賜った天皇は、
現(あき)つ神、現人神
(あらひとがみ)にます
神皇であるということが
どれほどまで生徒に徹底
しておったろうか。
また、教育勅語中に配する
我が皇祖皇宗がどの程度
まで神皇の義を含むことを
生徒に教えられておった
ろうか。
神皇にます明治天皇も、
神皇にました皇祖皇宗も
単なる仁君として被教育者
に伝えられておったのである。
著者が中学時代の記憶を
呼び起こしても、高等学校
や大学の時代を振り返って
みても、
一向、神皇の語さえ使用
した教師が一人も
いなかったことを遺憾とする。
わが国明治以来教育界の
通弊はその実証主義科学
万能主義であり、
それに加うるに迎合外交と
追随教育の弊は、教育勅語に
仰せられた皇祖皇宗を解するに、
単なる人間としての祖宗、
すなわち人祖人宗にほか
ならないものとしてこれを
解し奉っておった。
かく解して自他ともに
怪しまなかったのである」。
つまり、
「『天皇や皇祖皇宗を現人神
(あらひとがみ)として
絶対に崇拝すべきだ』
とする教育など、明治以来
行われてこなかった」
ということをはっきり自分
で言っているわけなのだ。
考えてみれば当たり前で、
一神教的な天皇観を唱え
始めたのは加藤玄智なので、
加藤玄智以前にそんなこと
を言う人もいなければ教える
人もいなかったわけなのだ。
それでは
「なぜ加藤は教えられても
いない現人神(あらひとがみ)
論が日本では教えられている
というふうにアメリカ人
に対して言ったのか」
ということが非常な疑問に
なるわけだが、
それを少し理解するヒント
として、昭和8年4月に
出した
『日本人の国体信念』
という本の中でこのような
ことが書かれているのだ。
「わが国の教育はここ」、
「ここ」というのは教育勅語
だけれど、
「教育勅語に発し、また
ここに記すべきもので、
日本の教育の大本は
初等中等教育でも高等教育
でも実業教育でも軍隊教育
でも、いつに、
その基礎と指導理念とを
ここにとりきたらねばならぬ。
換言すれば、日本国家の
教育は
人皇信仰の涵養(かんよう)
に帰着するものというべき
である」とありるのだ。
この「べき」や
「ねばならない」という
言葉から分かるように、
加藤の言う
「国家国体神道あるいは
国家的神道」というのは、
実在するものではなくて、
彼が「そうあるべきだ」
と考えた理想状態なのだ。
その理想状態を
「まさに日本に存在するものだ」
というふうな形で外国に対して
説明してしまったのだ。
ここに現在の国家神道論の
幻、幻想は源を発することに
なるのだ。
それでは、次に
「加藤によって生み
出された国家神道幻想は、
どのような人々によって
どのような主張を経由して
今日(こんにち)まで
伝わってきているのか」
について説明したいと
思うのだ。
最初の媒介者は、
D.C.ホルトムという人
なのだ。
D.C.ホルトムはアメリカ人
だけれど、宣教師であって、
アメリカ人の神道観と、
それから日本が敗戦後に
アメリカが命じた神道指令
に影響を与えた人物と
言われていて、
彼は加藤の用語を
受け継いで国家的神道
の訳語の
「STATE SHINTO」
というのを使うわけなのだ。
彼が戦時中、
昭和18年に書いた
『Modern Japan and
Shinto nationalism』
という本の中ではこの
ようなふうに書かれて
いるのだ。
「政治教育および宗教の
三者の合体した国家神道が
明治維新以来、
右肩上がりの発展を続けて
きた結果、今日(こんにち)
では驚くべき上昇を遂げ、
前代未聞の強力なものに
なった」とあるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

