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伝えられたんじゃ

どうも村田です

加藤玄智の

国家神道論が

どのような過程を

経て形作られて

いったのか

ということを、

彼の著書1つ1つ

年代順に追うことで

説明していくのだ。

まず、明治45年に彼は

『我建國思想の本義』

という本を出すのだ。

この中で、

「天皇というのは、

単なる神の子孫とか、

神の子ではなくて、

キリスト教のヤハウェ

に相当する神そのもの

なんだ」という説を出す

のだ。

「天皇絶対神論」

なのだ。

それに続いて、

大正8年2月に

『我が国体と神道』

という本を書いている

のだ。

この本の中では、まさに

その現人神(あらひとがみ)

論こそが神道の極意であって、

神道の真髄だというふうに

「真髄中核」

だというふうに説明し始め

るのだ。

さらに、大正11年5月の

『神道の宗教学的新研究』

になると、

「その現人神(あらひとがみ)

論こそが最も神道の大精神の

中で大切な本質だ」

というふうに言うのだ。

そして、その部分を指して、

これはもともとは東大の

哲学者の井上哲次郎の用語

なのだけれど、

天皇を現人神(あらひとがみ)

と仰ぐ神道の部分を

「国体神道」というふうに

呼ぶのだ。

そして、さらに注目すべきは、

帝国憲法の信教の自由に

ついての解説をここで加えて、

「この国体神道について

信ずる信じないの自由と

いうのは、日本国民には

ないんだ。

日本国民はこの国体神道

を信ずる以外にはないんだ」

という解釈を打ち出すのだ。

私が調べた限りだけれど、

帝国憲法を根拠にして、

「神道の信仰は

国民の義務である」

と主張したのはおそらく

これが最初ではないかと

思うのだ。

憲法学者の説を

調べてきたけれども、

大東亜戦争に入る直前に

憲法学者もそういうこと

を言い出すけれど、

大正11年という早い時点で、

「憲法によって神道の信仰

が国民に強制されているんだ」

と主張したのは、

この宗教学者、神道学者の

加藤玄智だったということは

覚えておいた方がいいと

思うのだ。

次に、大正12年に

『東西思想比較研究』

という本を彼は書くが、

ここで初めて

「国家的神道」

という言葉を使うのだ。

「国家的神道は

天皇教である」

と言うのだ。

それでは、この国家的

神道はどういうものから

出来上がっているのかと

いうと、

「1つは天皇を現人神

(あらひとがみ)と信じる

国体神道と、

もう1つはそれを

物理的に表現した

神社神道。

国体神道・プラス・

神社神道が国家的神道だ」

というふうに彼は主張

し始めるのだ。

そして、

「この国体神道の部分

は、教育勅語を中心と

して、全国の教師に

よって教えられている

んだ。

つまり、教育勅語が国体、

神道国家的神道の教典だ」

ということを言い始める

のだ。

したがって、この

大正12年に至って、

戦後のいわゆる

国家神道論の原型が

出来上がったと言える

と思うのだ。

彼は、昭和元年になって、

この国家的神道について

『A STUDY OF SHINTO』

という英文の論文を

出すのだ。

これによって、

彼の国家神道論が外国、

特にアメリカに広げ

られることになったのだ。

そこで、彼は

「神道は帝を神として

信仰する宗教なんだ」

と、

自分が唱えた国家的神道

をこの本の中で

「STATE SHINTO」

というふうに英訳するのだ。

さらに

「この国体神道は明治

23年に明治天皇によって

出された

教育勅語の中に中心的に

表現されていて、それが

全国の学校で教えられて

いるんだ」

ということを述べるわけ

なのだ。

つまり、

彼の言っていることが、

「天皇を現人神

(あらひとがみ)

として信仰する

国体神道、それと

合わさった神社神道、

それが国家的神道と

なるものが

日本に存在していて、

それが全国の学校で

子どもたちに教え

られているんだ」

ということが、日本の

現実として昭和元年の

現実としてアメリカに

伝えられたということ

になるわけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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