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当然だったんじゃ

どうも村田です

昭和19年7月の

敗戦直前なのだ。

すごく戦局が悪くなって、

東條内閣が総辞職して

小磯國昭という人が首相

になるのだ。

もはや物理的にいうと

戦勝の望みはほぼない

というような状況に

なった段階で

首相を引き受けた

小磯國昭は、ラジオ放送

で国民に演説するのだ。

その演説の中で

こう言うわけなのだ。

「天皇陛下は、また宇宙

絶対の神に在しますこと

今更申すまでもなく、

この信念に立脚して億兆

一心総力を発揮するとき、

その結果は宇宙を貫く絶対

力となって顕われ、

茲に人類最高の道義は確立

せられ、戦勝に必要なる

物量も神助と相俟って

自ら獲得せられ」うんぬんと、

これが昭和19年8月9日の

『朝日新聞』に載っている

のだけれど、

つまり天皇陛下を

絶対の神と信じているのだ。

物理的に必要なものも

天から降ってくるくらいの

ことを言っているわけなのだ。

絶望的とも言える戦況が

『国体の本義』

における天皇観さえも

乗り越えて、

総理大臣に天皇絶対神論を

国民に訴えさせるまでに

なったのだ。

これがわれわれが聞いて

いる天皇絶対振動の正体

なわけなのだ。

だとすれば天皇人間宣言の

起草過程の中で、日本の

側に天皇の神聖性を否定

しようと言われた時に、

そう言われるのだが、

もともとのGHQから

回ってきた原案では、

天皇が神の子孫である

ことを否定するという

内容になっていたのだ。

しかし天皇が神の子孫で

あることは否定できないので、

ではどうしようかという

ことになって、

そこを現御神

(あきつみかみ)という

言葉に入れ替えるのだ。

天皇が絶対的な神である

ということは、もう今

みたいないきさつで出て

きたものなのだ。

それはもともと日本の

伝統的なものでもないし、

否定しても構わない

というところでその言葉が

入ってきたというのは、

すごく納得できることなのだ。

それでは、もう1回

ひるがえって、村上重良は

何でこんなものが

「明治の最初から教えられていた」

と言ったのかという、

その辺が疑問なのだ。

これは私の推測なのだけれど、

村上重良は昭和3年生まれ

なのだ。

昭和3年生まれという

ことは小磯國昭の演説の

時に16歳なのだ。

もしかしたら日本は

負けるのではないか

という恐怖感の中で

聞いた首相の言葉、

おそらくここに

ものすごく強烈な影響

を与えたのだ。

太陽を直接見たら周りの

景色が全く見えなくなって

しまうのと同じような状態

なのだ。

だからもう村上少年の

心の中には、もう

その時の印象がバーン

と入ってしまって、

「もうこんなことを

ずっとやってきたんだ」

というような思い込みが

あって、

それが結局理性的に、

客観的に歴史を見る

ということができなく

なってしまった

原因ではないかなと

いうのが私の推測なのだ。

さて、これで現人神

(あらひとがみ)論

の有力化の説明は

終わりなのだ。

では、次に八紘一宇

というのはどうなのか

という話なのだけれど、

実はこの昭和12年の

『国体の本義』

に八紘一宇という言葉

は出てきていないのだ。

ではいつ出てくるのか

というと、政府の文書に

最初に出てくるのは、

昭和15年8月1日に

第2次近衛内閣が公表

した基本国策要綱から

なのだ。

これが出てくる背景には、

今まで現人神

(あらひとがみ)や

八紘一宇の呼び出し役

として共産主義思想と

総力戦思想と述べてきた

けれど、

3つ目の思想として

東亜新秩序という

ブロック経済圏の思想

があったのだ。

これはどういうことか

というと、もう1回

第一次世界大戦のところ

に戻ると、

第一次世界大戦は、

ヨーロッパにおいては

ベルサイユ体制、

アジアにおいては

ワシントン体制と

いうので構築されて

いるのだ。

この世界の基本構造と

いうのは何かというと、

世界は独立国と半独立国

と植民地の3重構造に

なっていて、

独立国においては植民地

をたくさん持っている

豊かな国と、

持っていないかそれほど

持っていない豊かでない

独立国にもう分かれて

いるわけで

この状況を基本的に

認めたうえで、持てる

独立国に対して

持っていない独立国が

植民地を奪いに行く

ということから戦争が

起きないように、

この体制そのものは

維持しながら植民地間、

国家間での物流や人の

流れは自由にして争いを、

摩擦を避けましょうね

というのが基本的に

第一次世界大戦後の

世界秩序であるし、

国際連盟の国際秩序

だったわけなのだ。

当然そこでは国家間の

不平等があるから、

人種差別というのも

ある種当然の世界だった

わけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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