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初めて知ったんじゃ

どうも村田です

現人神

(あらひとがみ)論

と八紘一宇論に共通

する特徴というのは

何かというと、

1つは古典的な

神道学者や神職から

生まれた思想ではない

ということなのだ。

古典や書かれている

記述は前提としている

けれど、それは

神道学者や神職から

出てきたわけではなくて、

加藤玄智といい、

田中智學といい、

絶対的な現人神

(あらひとがみ)論の

背景には他宗を排除する

傾向の強い

仏教信仰、一仏崇拝の

ようなものがあるわけ

なのだ。

それが天皇に投影されて

いるという形になっている

わけなのだ。

それから、加藤も上杉も

田中も、全部陸軍に影響を

与えたという点で共通して

いて、

加藤玄智の宗教学、

上杉慎吉の憲法は、

東大では傍流なのだ。

文民の間では傍流だった

のだけれど、軍事の中

では主流になっていった

ということ、

のちのちこれが大きな

影響を与えてくる

ということなのだ

では次に第一次世界大戦、

これは大正3年から大正

7年くらいだけれど、

この第一次世界大戦から

満州事変のころに話を

移していきたいと思うのだ。

ここでもポイントは

3つあって、まずどんな

雰囲気の時代だったのか

ということなのだ。

そしてこの時に世界に

どんな変化が起きたのか、

この世界の変化に日本は

どう対応したのかという、

この3点から天皇論を

検討していきたいと思う

のだ。

まず政治的にいうと、

これは大正デモクラシー

と言われる時代で

帝国議会で多数の議席を

占めた政党が内閣を組織

して政治を動かした時代

なのだ。

思想的には個人主義懐疑論

なのだ。

確実なものはない、

何でも疑ってしまう無神論、

「神なんかいないんだ」

という考え方が流行した時代で、

別名煩悶時代とも言われる

のだ。

若者がどう生きていたら

いいかということを、

若者だけではなく、

時代全体が悩んでいたのだ。

組織よりも自分である、

そして何でも疑ってしまい、

信じられるものがない、

神なんかいないのだ

というような雰囲気が

世の中を覆っていたとも

言えるわけなのだ。

これは世界情勢に目を移すと、

第一次世界大戦の結果として

次々君主制が消えていくわけ

なのだ。

まず、ロシアで帝政が

倒れて社会主義ソビエトが

出現するのだ。

それから、オーストリア=

ハンガリー帝国でも崩壊して

共和制に移っていくという

ことになるのだ。

実は、今の感覚からすると

少し分かりにくいかも

しれないけれど、

明治維新の時は、なぜ

君主制でなければならない

かという疑問はないわけ

なのだ。

なぜかというと、世界は

ほとんど君主制だったから

なのだ。

例外的にアメリカと

フランスがあっただけで

あって、

ヨーロッパの先進国も

君主制の国なので、君主を

中心に国造りをするという

ことに対して、基本的に疑問

がないわけなのだ。

ところがこの時代になると

ヨーロッパが君主制では

なくなっていくので、

なぜ君主制でなければ

いけないのですかという

疑問が出てくるわけなのだ。

そういう疑問が日本にも

及ぶのではないかという

ことが懸念されて、

当時、寺内正毅という人が

内閣総理大臣で、そこで

教育改革のために設けられた

臨時教育会議というのがある

のだ。

主要な課題ではなかった

のだけれど、その委員の中

から意見が出て、

「教育ノ効果ヲ完カラシム

ヘキ一般施設ニ関スル建議」

というのが行われて、

国民思想の方向を統一する

ために国体の本義を明徴に

するということが建議される

のだ。

国体の本義の明徴という

のはこんな時代にもう言葉

として存在したのかと、

僕はこれを読んで初めて

知ったのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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