Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

100年先を見据えるんじゃ

どうも村田です

屋久島も世界遺産で

ただ、世界遺産として

登録されてから観光客が

さらにたくさん押し

寄せるようになって、

『もののけ姫』の舞台と

なったとも言われている

白谷雲水峡、たくさんの

コケがむしている、

とても神秘的な森も、

コケがどんどん退化

していった、

なくなってしまったと

ガイドさんに伺い

「同じことが

起きなければいいな」

ということをとても

心配していたのだが、

幸いなことに宗像では

そういうふうにはならず、

逆に沖ノ島に関して言うと、

かつてよりも立入制限を

厳しくして、開かずに

守っていく場所として

皆さんが合意した

というのはすごく

いい方に進んでくれたな

というふうに思うのだ

そのことが、世界的に

あれだけ有名な

エアーズロックの

立入に関しても

影響していたというのも、

少し誇らしく思うのだ。

エアーズロックには

行ったことはないけれど、

やはり映像で見るだけ

でもとても

スピリチュアルなものを

感じる場所なのだ。

特に、もともとあの土地

に住んでおられ方に

とっては聖なる場所で

あったはずのところに、

ズカズカと外から行った者が

立ち入るというのは、

遠慮してしかるべきだった

のではないかな

というふうに改めて思うし、

そういう方向に宗像が

1つのいい先例となって

かじを切られたという

ふうな事実は日本人

としてとてもうれしく、

誇らしく思うのだ。

そうやって、世界的に

見ても大切な場所が、

人類の財産として

守られていくということに

宗像がいい影響を与えて

くれたということを実感

した次第なのだ。

それから、神道の世界での

時間軸、ものさしが、

普段私たちが感じている

ものと全然スケールが

違うということも印象に

残ったのだ。

「神道界での短期間

というと50年だ」

という趣旨の話があった

けれど、

「50年短いんだ」

と思い、しかし、

言われてみると、

林業の世界でもそうなのだ

林業というと、

「100年先を見据える仕事」

と言ったりもするのだが

自分が植えた苗木が自分が

生きている間に収穫される

ということは基本的にない

のだ。

子や孫の代になって

ようやく材として切って

活用されるというのが

当たり前の世界なのだが、

神道もまさにそういう

スケールで捉えていた

ということを認識したのだ。

宗像国際環境会議の昨年の

パネリストの1人に宮大工で

有名な小川三夫さんが

いるのだ。

伝説の宮大工と言われた

西岡棟梁の唯一の内弟子

だった方としても知られる

方が、昨年の会議の時に

法隆寺の写真を見せてくださり、

その写真の南側に使われて

いる柱は節だらけなのだ。

普通、節があるものは、

見える場所に使わない

ようにするのだが

なぜそこに使われているか

というと、宮大工の世界には

「木は生育した時の向きで使え」

という言い伝えがあるといい

それはどういうことかというと、

木は種類によっても

もちろん性質が変わって

くるけれど、

山のどちら側にどういう

向きで生えていたかと

いうことも非常に大切で、

南側の斜面に生えていた

木というのは、やはり

それが自分が生きていた

時の環境なので、

切られてからもそういう

環境で使われるのが一番

その木の持っている力を

遺憾なく発揮できる

環境なのだそうなのだ。

だから、南側に生えていた

木を、法隆寺の南側に、

きちんと生えていた時の

方向のままで使っている

ということなのだ。

なぜ方向が分かるか

というと、南側のたくさん

お日様が当たる方には

木はたくさんの枝を伸ばす

のだ。

だから、枝が生えていた

ところが枝を落とすと

節になるわけだが、

そのような南側に生えて

いた木を南向きのままで

南側に使っている

というのが法隆寺の建築

なのだそうだ。

逆に北側の柱には一切

節がないということで、

北側は木の生えていた

時に北側だった部分が

北側に向けられて

使われているということ

なのだ。

もう1つ面白いのは、

ヒノキというのは

切られてから200年かけて

強くなるのだ。

それから1,000年かけて

弱くなるので、今法隆寺に

行って見ているヒノキの柱や、

ヒノキを使った建築は、

作られた時とほぼ同じ

強さだと聞いて、

これだけ長いスパンで

丈夫さが保たれる

というのは

やはりヒノキの特徴だそう

で、

「同じ針葉樹でもスギ

だったらこうは

いかなかったよ」

ということもまさに

適材適所の使われ方を

しているということを

深い感慨と共に実感した

わけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me