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超えてたんじゃ

どうも村田です

伊勢も何かの拍子に

掘ったりすると、ぽっと

出てきたりするのだ。

だから、同じように

沖ノ島の方も、ほとんどが

土の中に埋まっている

というふうに理解した方が

いいと思うのだ。

ただずっと永遠に続いて

きているものだから、当然

朽ちてなくなったものも

あると思われるけれど、

当初はまだそこにあった

ということなのだ。

実はこちらにもゆかりの

ものが飾られていて

奈良三彩というもので

日本が最初の染め付け技術

を確立した奈良三彩の複製品

なのだ。

唐津焼の十四代

中里太郎右衛門さんが、

2年の年月をかけて作って

くれたものだが、

これは非常に重要なもので、

沖ノ島にはいろいろなものが

あるけれど、

「これは本当に天孫

(あめみま)が祭られた、

いわゆる天皇が祭ったもの

なのか、否か」

というものの証拠になる

ものなのだ。

染め付け技術というのは

当時の最先端技術だから、

当時大和朝廷がこの技術を

囲い込んでいて、国家の

重儀の際にこれを出すのだ。

そして、これが出てきたこと

によって、大和朝廷と宗像の

お祭りが繋がるという極めて

重要なものだ。

本物はうちの博物館にあり

それが結構な数出てくるわけ

なのだ。

こういうものが出てきたら

公共事業が止まるような

代物が結構あるのだ。

ごろごろと言うと安っぽく

聞こえるけれど、沖ノ島から

たくさん出てくるのだ。

だから、非常に丁重なお祭りを

されたという証なのだ。

それによって、宗像の

御神宝類は朝廷から納め

られたものであるという

ことが分かるのだ。

見れば当然分かるのだが、

当時最先端の非常にいいもの

を作っているから国宝になって

いるということなのだ。

戦後約10万点のものを

表面採取で取ってきて、

現在整理された8万点がすべて

国宝になっているというのは

そういうことなのだ

当然そういう器のような

ものもあるけれど、女神と

いうことで、

ネックレスみたいなものが

あったり、結構きれいなもの、

ガラス製品だとか、

当然伊勢神宮に似たような

もので機織り機のミニチュア

だとか、御鏡(みかがみ)、

青銅鏡とかなのだ。

教科書に出てきた鏡もあり

三角縁神獣鏡だとか、そういう

ものがたくさん出てきている

のだ。

「女神様の島だな」

という気もするのだ。

多分当時の最高の技術で作られ

ていると思うのだ。

どうしても考古遺物という

カテゴリーになるので、

遺物的な目で見られるのだが

けれど、これは後でゆっくりと

ご覧いただければと思うが、

バランスもいいし、

デザインもすごく優れていて、

これこそ黄金比というような、

手前みそになるけれども、

品良く仕上がっていると思うのだ。

例えば、馬具と言われる

馬の飾り金具なども、たくさん

出てきているけれど

どことは言えないのだが、

他の出土品の馬具と比べると

全然違うのだ。

それは素人の私たちが見ても

分かるのだ

よく子細に見てもらうと、

考古遺物だけれど美術品の

ように見えるものがたくさん

あるから、

そういうのもぜひ見て

もらいたいなと思うのだ。

沖ノ島、大島から神様を

お迎えするお祭りがあるのだ

みあれ祭といい

今、言葉の整理をしていって

いるのだが

神様を迎えに行くというのは、

神社がそういう説明をする方が

分かりやすいので、

そういうことで地元では定着

しつつあるのだが、本義から

いうと、

沖ノ島とか大島は船がないと

なかなか行けないわけなのだ。

ここに長女の神様も次女の

神様も祭ってあるわけなのだ。

どちらかというと、御神威と

いうか、お力を年に1回

こちらに持ってこようという

ことなのだ。

神様自身に来ていただくと

いうよりは、お力をお借りする

ということなのだ

こちらにお借りするのだ。

今は年に1回になっているけれど

昔の記録を見ると、年に何回も

やっている時があるのだ。

おそらくそういう時は、

何か国家的な問題だとか、

何かあって来ているのでは

ないかなと思うのだ。

危機に陥っているとか

なのだ。

島に行けない分、やはりここで

の祭祀(さいし)、お祭りが

多くなるから、

そのために沖ノ島のお力、

長女神のお力、次女の大島の

お力をこちらに持って来る

というふうに言った方が

正しいと思うのだ。

今、徐々にお祭りの本義

というか、もともとの趣旨

というのをそのように説明

していっているのだ。

写真で拝見するとたくさんの

船が出て、壮大な、勇壮な

お祭りだなというふうに

思うのだ

今は若干減ったけれど、

ピーク時は漁船とか船が

200艘(そう)を超えていたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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