どうも村田です

福岡県宗像市に
ある、宗像大社に
行ってきたのだ。
宗像大社と一口に言い
ましても、実は3つの
お宮の総称になるのだ。
こちらが本土にある、
辺津宮で
一般的に宗像大社として、
多くの皆さんがお参り
されるのは、
こちらの辺津宮になるのだ。
この10キロ沖合の大島には、
また別のお宮があり、
中津宮というふうに呼んで
いるのだ
そのさらに50キロ沖合に、
沖ノ島があるのだが、そこに
あるのを沖津宮と呼び、
この3つのお宮の総称が
宗像大社なのだ。
それぞれの島には、女神さま
がおられ
田心姫神(たごりひめのかみ)、
湍津姫神(たぎつひめのかみ)、
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
という、
通称
「宗像三女神」
と呼ばれる女神さまたち
が祭られているのだ。
辺津宮に掲げられている
特徴的な文字なのだが
「天孫(あめみま)を助け
奉りて 天孫(あめみま)
に祭(いつ)かれよ」
というふうに書かれている
のだ
これはどういう意味かと
いうと
「歴代の天皇を助けて、
歴代の天皇に祭られなさい」
という神勅なのだ。
「天皇を助けて」
というのはよく分かるのだが、
「天皇に祭られなさい」
というのがとても珍しいな
というふうに思ったのだ。
実際、宗像大社は古代から
天皇を助けてきたのだ。
特に沖合にある沖ノ島は、
交通の要衝として、日本から
大陸や半島に渡る人たち、
逆に大陸や半島から日本に
渡って来る人たちの海上の
目印になっていたのだ
絶海の孤島なので、格好の
目印であったと思うのだ。
さらに、この辺津宮がある
本土も交通の要衝であったのだ。
ここを中心に外交も行われたし、
貿易も行われたし、やはり
国の守りの要としても、
この宗像という土地が
大切な役割を果たしてきた
のだ。
歴代の天皇陛下を助けてきた
お返しというと、少し語弊が
あるかもしれないが、
どのようにして祭られたか
という証拠として、沖ノ島
には8万点にも及ぶ国宝が
あったのだ。
それが発見されているのだが、
その国宝は宗像大社の宝物殿
にしっかりと祭られている
のだ。
今でこそ、神社というと、
御社殿という建物があるのが
当たり前になっているが、
原始の神道のお参りの仕方
というのは、社殿はないのだ。
例えば、大きな岩だったり、
立派な木であったり、
そういったものに神様が宿る
としてお祭りをしてきたのだ。
沖ノ島には、巨岩がたくさん
あるのだ。
本当に「えっ!」
と言うような大きな岩が、
島中にごろごろあるのだ。
見てきたかのように言って
いるが、実は私は行った
ことがないのだ
というか、後ほどまた紹介
するが、沖ノ島に渡れるのは、
みそぎをした神職さんだけ
なのだ。
海中映像というのも見た
ことがあるのだが、その
巨岩が海中にもたくさん
あって、
特に霊感などがない私が
見ても、
「何かスピリチュアル
な気配が濃いな」
と感じさせるような場所が
沖ノ島であり、その周りの
海になるのだ。
もともと原始時代は、その
大きな岩の上で神様に
対するお祭りが行われて
いたそうなのだ。
それから、だんだん時代と
ともに、岩の上から岩の下に
下りてきて、
地上でお祭りをする
ようになり、そういった
時に使っていたさまざまな
道具や祭祀(さいし)
に使う器具などが、国宝
として後に発見されて
いるのだ。
8万点というのは、本当に
半端ではない数だと思う
のだが、
そのような貴重な品々が
たくさんあるという意味でも、
とても珍しい、
希有(けう)な島であると
思うのだ。
大きな岩や大きな木が、
神様が宿る場所として
あがめられてきたという
話をしたけれど、この
宗像大社の辺津宮にも、
そういった時代を思わせる
場所が今でも残っているのだ。
それが高宮祭場なのだ。
何もなく
ただ空間がある、そして
少し木が生えている
というような場所なのだが、
そこに神様がおわす
ということで、このよう
にしめ縄を張って、
皆さんが手を合わせて
お参りをされるという
聖地になっているのだ。
こういった原始宗教の名残を
とどめているという意味でも、
宗像大社は貴重な場所
なのではないだろうか。
そして、先ほどちらっと
お伝えした沖ノ島なのだが、
ご覧のように結構立派な島
なのだ。
かつては、男性に限って
だが、200人の人を受け
入れていた時期もあった
そうだが、
今では厳格にみそぎをした
神職さんだけというふうに
なっているそうなのだ。
必ず、宗像大社の神職さん
1人が交替でこの島に滞在して、
神様をお祭りしているのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

