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十分あるんじゃ

どうも村田です

伊藤仁斎は、まさに

「人倫日用」

の実践者であったのだ。

つまり、日常における

人間関係をしっかりと築き、

そのなかで他者と向き合い、

心をかけ続けることに

よって、お互いの人生は

育まれ、成長し、基礎から

形成されると説いたのだ。

この思想こそが儒教の

本質であり、伊藤仁斎は

その考えを具現化した

思想家であるのだ。

また伊藤は、日本文明の

本質を思想的に完成させた

人物であり、

行動でそれを実践した

偉人でもあるのだ。

とくに徳川光圀もそのような

人物であり、そのような思想

を並べたことには感服し、

深く感銘を受けたのだ。

アメリカにおける丸山眞男

( 戦後日本を代表する政治思想家)

の影響が強く、

封建的な道徳が非常に蔑視

されている現状を感じたのだ。

西洋においても同様の傾向が

見られ、現代こそがすべて

であり、

日本のいわゆるファシズム

が江戸時代の封建的、

儒教的な考え方に由来して

いるとされているのだ。

しかし、実際には自分の

人生のなかで、どの時代でも

模範とすべき存在があり、

伊藤仁斎や江戸時代の学者に

ついて読むと、現代の

「自分らしさ」

こそ模範にはならないと気づく

のだ。

むしろ、「自分らしさ」を

捨て、1 人の人間として

社会でどう生きるかが重要であり、

それは日本的であり儒教的な

考え方でもあるのだ。

現代においても、この

考え方が非常に大切である

と感じるのだ。

もし皆が自分らしさを

極めれば、社会はカオス

となるだろう。

したがって、再び江戸時代

に戻り、陽明学をはじめと

する日本らしい儒教や海外の

考え方を学び直さなければ

ならないと思ったのだ。

ファシズムの話に通ずるが、

ナチス・ドイツとは、

ドイツ人やアーリア人という

抽象的なカテゴリーを先に

立て、それに個人を無理やり

当てはめようとする、

人間を抑圧する発想に

基づいていたのだ。

ヒトラーの頭のなかで

作られた理想像に合わない者、

例えばユダヤ人は、

A 氏、B 氏、C 氏といった

個々人の違いを無視され、

根こそぎ抹殺される

という発想が支配したのだ。

これに対し、日本は

まったく異なる価値観を

もっていたのだ。

それぞれの人間がその立場

や役割を果たしていくことで、

国家が形成されていくという

思想であり、

また、国という存在

そのものも、それぞれの国が

その「らしさ」を発揮する

ことで成り立つとする観点

であるのだ。

この意味で、日本の考え方

はナチズムとは真逆である

のだ。

この構造は、現代における

アメリカの新自由主義、

新保守主義、さらには

グローバリズムにも通じる

のだ。

すなわち、エリートの頭の

なかで構築された観念によって、

人びとに特定の行動様式や

社会構造を強制し、

それを世界に押し付けて

いくという点であるのだ。

言うまでもなく、かつての

共産主義や社会主義といった

思想も同様なのだ

このように考えると、

自由主義、共産主義、

社会主義、ファシズム、

さらにはグローバリズムに

至るまで、いずれも欧米発の

思想でありながら、

実のところ人間という

存在をもっとも軽視して

いるといえるのだ。

西洋思想における人間観は、

人間を獣のごとく捉え、

それを動物園のように

管理・統制する発想に基づいて

おり、個々の尊厳や内面的価値

に対する理解が乏しいのだ。

これに対し、日本の思想に

おいては、一人ひとりが

極めて価値ある存在であり、

それぞれが内に社会を

良くする原動力を有している

と捉えるのだ。

このような人間観に立脚した

日本文明と、人間を画一的に

扱い管理しようとする

西洋文明とは、本質的に

相容れない関係、すなわち

絶対的対立関係にあるといえる

のだ。

このような歴史観すら

提供できるのではないかと

思って、拝聴していたのだ。

昭和17 (1942) 年は、

西洋の啓蒙思想と日本的な

思想が正面から衝突した年

であったのだ。

西洋における啓蒙思想は、

長い歴史を経て確立された

文明とは言い難く、

個人の尊厳を真に重視する

ものではなく、むしろ個人

を否定し、

合理性や管理の名のもとに

均質化を進める傾向が強かった

のだ。

これに対して日本は、

個人を尊重しつつも、

社会全体との調和を重視する

という、

いわゆる八紘一宇

( 世界を一家とみなす理念)

の思想を掲げていたのだ。

このような思想的衝突が、

昭和17年という年に象徴的に

表れていたといえるのだ。

確かに戦争という局面に

おいて日本は敗北を喫したが、

より長期的な歴史の視点から

見れば、

啓蒙思想と八紘一宇思想との

「文明の戦い」において、

日本の理念が勝利を収める

可能性は十分にあると考え

られるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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