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これが日本じゃ

どうも村田です

「奇答」

徳川光圀七歳のとき、

父頼房が光圀に向かい、

「私が戦場で大傷を受けたら、

お前は助けて立ち退いて

くれるか、どうするか。 」

と、訊くと、光圀は

言下に答えた。

「その節には、私は父上の

体を越えて進んで、敵を

斬りまする。 」

頼房はこの奇答をよしとし、

孝行としたのだ。

「本分」

吉田大蔵は弓術をもって

加州侯に仕えていたのだ。

ある日、加州侯は、

七、 八名の大名を招いて

饗宴を張ったのだ。

折しも数行の過雁

(空を飛んでいく雁)に、

話が弾んで来ると、

加州侯は、吉田に命じて

空の雁を射させた。

「ハッ」と答えた吉田、

しばらく心を鎮めていたが、

サッと放す初矢、二矢、

舞いつつ雁は落ちて来た。

満座は喝采して、

「さすがは加州侯、

よき家来を持たれる。」

と、ほめちぎったのだ。

後刻、客が散じてから

吉田は御前に伺候し、

永の暇を請うたのだ。

侯は驚き、しばらく

考えていたが、名君

である。

「私が誤っていた。以来

断じてあのようなことは

させぬ。 今回だけは

思いとどまってくれ。」

と、深く謝して、吉田を

とどめさせたのだ。

すべて侍が武を磨き、

仕を求めるのは、戦場に

臨んで君のために尽くそう

がためであるのだ。

それを饗宴の慰めのために

使われて、もし仕損じたら、

自分は割腹、主君は恥辱を

受けねばならぬ。

そんな慰みに武を使うのは、

愚の骨頂である。吉田は

本分を忘れぬ男だったのだ。

徳川光圀に関しては、

日本という国への意識が

芽生えている時期に位置

づけられるのだ。

彼は自分の藩や大名だけ

でなく、日本という国を

意識していたと考えられる

のだ。

『大日本史』

を編纂したことからも、

日本という国が時間を超えて

存在し続けるという意識が

芽生えた時期であると言える

のだ。

光圀の考えにおいては、

単に自分のお父さんを

超えるという意味だけではなく、

先祖たちが思い描いていた

日本を超えて、より大きな

日本を目指していたのでは

ないかと考えられるのだ。

彼は「先を進む」という

覚悟を持ち、そのような

視点で行動していたと

思われるが、

それは少し大げさに

なってしまうだろうか。

大げさではない。

『大日本史』は、徳川光圀が

藩の事業として完成させた

ものであり、

そのなかでもっとも重要な

特徴は「大義」であるのだ。

大義とは、物事にはすべて

意味があり、その意味を理解

したうえで人間はそれに

応じた行動を取るべきだ

という考え方であるのだ。

この考え方を光圀は非常に

大切にしたのだ。

『大日本史』

における大義の存在は、

日本という国には深い意味

があり、日本人には生きる

べき生き方があるという

認識をもたらすゆえに、

日本という国の存在が

時間を超えて続くという

意識が芽生え、光圀は

その先を見据えた行動を

していたと言えるのだ。

日本という国は、国内から

成長し発展するものであり、

これは自然なことで、

一貫性をもっているのだ。

歴史を通じて数多くの人物が

関わり、現在の日本が形作られ、

さらに大きな、発展した

日本が期待できるという

発展の道筋は非常に明確で

あるのだ。

しかし、問題は周囲の国々、

とくに欧米諸国との戦いの

なかで、その発展が可能か

どうかであるのだ。

峯太郎がその点について

どこまで考えていたかは

わからないが、

当時の日本が直面していた

大きな危機において、

どのようにして今まで

築いてきた国を守りながら、

国際社会という、まるで

ジャングルのような競争の

激しい環境のなかでさらに

成長するか

という課題が大きな問題

として存在していたことは

確かであるのだ。

取り上げられた事例では、

責任という概念が非常に

重要視されていたのだ。

例えば、光圀の場合、父親と

自分は親子であるが、武士

としては上司と部下の関係

にあり、

戦に勝つという使命が

与えられていたのだ。

自分の責任を考えたとき、

父を介して負けたと

言っても意味がないため、

それを超えていく覚悟が

必要だと理解していたのだ。

これを見て非常に感心したのだ。

一方、吉田大蔵の場合は、

自分の責任の範囲を超える

ことを要求されると、

自分は辞めるという

決意を示しているのだ。

ここで重要なのは、私たちが

立場や役割に沿って行動する

ことが本来は良いことである

という点であるのだ。

これを聞くと、封建道徳の

ように、義務や責任ばかり

強調されていると感じるかも

しれないが、

実際には、役割に従うことで

初めて他者に対して自己主張や

自己表現ができるのであるのだ。

家のなかで家事をしないで

だらだら過ごしながら、

自己主張ばかりする父親が

周囲から受け入れられない

のは当然のことなのだ。

この当たり前のことが、

国家や大きな社会においても

必要であり、

それをもっとも純粋に表現

したのが、日本という国で

あったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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