どうも村田です

最後にもう一点述べて
おきたいことがあるのだ。
それは山中氏の執筆活動の
旺盛さについてであるのだ。
調査の結果からも、彼が
一年間に著した書籍や
雑誌記事の数は驚くべき
ものであり、
その筆の勢いが尋常では
なかったことがうかがえる
のだ。
たった一年でこれほどの
著作を発表する人物は、
現代にはほとんど存在しない
と言ってよいのだ。
このような驚異的な執筆量は、
彼が軍人としての厳しさと
規律を内に備えた、
芯の強い人物であったことを
物語っているのだ。
しかも、このような資質を
備えた人物は、当時の日本
には珍しくなかった点にも
注目すべきなのだ。
峯太郎は、まさにその時代の
精神を体現しているといえる
のだ。
本書の序文において、
注目すべき部分があるのだ。
儒教においても重要な
テーマである、周囲の人びと
との関わりを通じて成長する
という概念は、日本文化にも
共通しているのだ。
しかし、序文を読んで感じた
違和感は、その成長の
プロセスを国際的なレベルで
試みようとしている点である
のだ。
序文に
「あらゆる生物が、鍛え
られて強く大きくなり、
しかも、
真面目を現し、さらに
生々発展するのは、
宇宙的法則である。」
と書いてあるのだ。
この文を読んで、社会的進化論
や社会的ダーウィニズム、また
適者生存といった欧米の
イデオロギーが日本にも
浸透しつつあることを感じた
のだ。
日本人には、周囲の人びとと
切磋琢磨しながら成長する
という素晴らしい文化があるが、
それを国際的なレベルで実現
できるかどうかには疑問を
抱いたのだ。
時代背景としては
「もっとも強い国が生き残る」
という欧米的な考え方が
存在するなかで、
日本はみなが平等に繁栄できる
世界を作ろうとしたのだ。
その当時の日本の大義は、
今でも非常に重要であると
感じたのだ。
確かにその通りで
大東亜戦争の目的は
「各々其ノ所ヲ得」
という言葉に象徴されるように、
各国がそれぞれの特色を活かし
ながら共存することにあった
のだ。
この点こそが大東亜戦争の
もっとも重要なポイントであり、
まさにその通りだと考えるのだ。
いよいよいくつかのシーンを
取り上げて詳しい解説をしたい
と思うのだ。
取り上げた箇所は大きく
分けて二つに分類できるのだ。
最初の部分として、
「母の感化」、「母と共に」、
「母の力」、「女房と事業」、
「日本的性格」などが
挙げられているのだ。
母というテーマが大きく
取り上げられているようだが、
その真意について教えて
いただければと思うのだ。
この本を読んでも、ほかの
本を読んでも、また現在の
日本社会においても、
女性の存在がいかに重要で
あるかはすぐに理解できると
思うのだ。
例えば、山中氏の評伝にも
登場するが、東條英機が
子供のころのエピソード
があり、
若いころから母に叱責され、
成長したという話があるのだ。
偉大なる人物であっても、
子供のころから母に育て
られているという点は
非常に重要なポイントで
あるのだ。
当時の日本には、
東條英機のような偉大な
人物が存在したが、
その背後には女性の支えが
あったという指摘が繰り返し
なされているのだ。
とくに「母の感化」や
「母と共に」の章では、
息子の命をお国のために捧げる
覚悟をもった母の姿が描かれて
おり、
「この母、この子あって、
日本は神威の国である」
という一文もあるのだ。
日本が成し遂げようと
していた大義は、女性の
心から始まったことが
読み取れるのだ。
「母の力」
では、井上聞多 (井上馨)や
所郁太郎のエピソードが
語られており、
命の大切さが重要な
ポイントとして強調されて
いるのだ。
当時、欧米では社会的
ダーウィニズムや適者生存が
盛んに論じられていたが、
日本ではそれとは異なる
価値観が存在していたのだ。
日本では弱者や人の心、
そして相手の命を大切に
しなければならないという
教えがあり、
これは強い女性たちが
支えていたからこそ
成り立っていたと考え
られるのだ。
「女房と事業」では、
明治時代の実業家である
雨宮敬次郎が、
自分の妻を大切にしている
エピソードが紹介されており、
これも重要なポイントである
のだ。
日本社会では、今でも
男尊女卑が言われがちだが、
実際には女性が大切に
されている場面が多く
見受けられるのだ。
「日本的性格」では、
14歳の少女・お綱が、自分の
主人の子供を守るために命を
捨てる覚悟を示し、
相手のために自分の命を
落としても厭わないという
美しい文化が描かれている
のだ。
このようなシーンでは、
女性が中心的な役割を果たし、
大きなポイントとなっている
と考えられるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

