どうも村田です
指摘された重要な点は
二つあるのだ。
第一に、日本人とは
人間関係のなかにおいて
自己を省み、
また社会の形成を試みる
存在であるという点なのだ。
これは儒教における
「人倫」
の概念に通じるものであり、
人と人との関係性のなかで
秩序を築き、自己を高めよう
とする姿勢が見て取れるのだ。
すなわち、日本文明の根幹
には、人倫を基礎とした
人間形成と
社会構築の力が内包されて
いるのであり、ここに
日本的思考の大きな特質が
あるといえるのだ。
さらにもう一点として、
講師が指摘されたように、
時代の大きな転換点において、
日本という国、あるいは
日本人とはいかなる民族であり、
いかに生きるべきかを
根本から問い直さざるを
得なかったという歴史的状況
にこそ、本書の重要性がある
といえるのだ。
まさにその通りで
実際、この種のスタイルの
書籍は、明治初期にも存在
していたのだ。
例えば岡谷繁実による
『名将言行録』
がその一例であり、
戦国時代の名将たちの言行を
まとめたこの書は広く読まれた
のだ。
そこには日本人が模範と
すべき思想や心構えが、
簡潔な文章のなかに凝縮
されており、
時代を超えて精神的指針を
与えるものであったのだ。
本書
『日本的人間』
もまた、同様に日本人の
在り方を問うた時代的遺産
であり、
その価値は決して小さくない
のだ。
同様に、江戸時代にも
原念斎という人物が
『先哲叢談』
と題する
儒学者の列伝を著しており、
これもまた先に述べた
ようなスタイルに属する
ものであるのだ。
こうした形式は日本人が
古くから親しみをもって
きたものであり、
日常の言葉や行動のなかに
その人物の本質を見出し、
模範とすべき人物像を描き出す
というものであるのだ。
先生が指摘された、自らを
いかにより良くしていくか
という問題意識、
そしてそれを可能にする
モデルを歴史のなかに求める
という姿勢は、
まさにこの伝統的なスタイル
の核心をなすものであるのだ。
しかしながらこの点の重要性
について、現代の日本人ですら
十分に自覚していないことが
多いのだ。
この指摘は極めて意義深い
ものといえるのだ。
底本となった書籍が出版された
昭和17(1942)年は、
大東亜戦争開戦から2年目に
あたり、
日本軍がマレー半島や
シンガポール、さらには
フィリピンを攻略し、
目覚ましい戦果を挙げていた
時期なのだ。
いわゆるマレー電撃戦を
はじめとする一連の快進撃が
展開され、戦局は一見して
日本に有利に進んでいたのだ。
しかしながら、同年6月の
ミッドウェー海戦における
日本海軍の大敗北は、
その後の戦局に暗い影を
落とすこととなるのだ。
太平洋戦線では劣勢が顕著
となり、最終的には
ガダルカナルからの撤退
という苦しい局面へと至った
のだ。
このように、戦果と敗北とが
交錯する、まさに時代の潮目
が変わる転換期にあたるのが
1942年であったのだ。
したがって、同年に出版
された本書には、戦時下
という緊迫した社会状況の
なかで、
国家の在り方、
人間の在り方を問う
切実な問題意識が色濃く
反映されているといえるのだ。
1942年は、日本という国家
の運命が大きく定められる
一年であったといえるのだ。
先に述べたような戦局の
転換点に加え、この年は
満洲事変から数えて12年目
にあたり、
戦争の長期化が現実の
ものとなっていたのだ。
そのようななかにあって
日本人および日本国家は
なお先を見据え、
未来に希望を託す姿勢を
失ってはいなかったのだ。
本書がそのような時代に
執筆・出版された背景には、
まさに国民を精神的に鼓舞し、
奮起させる意図があった
と考えられるのだ。
したがって本書には時代の
重圧を受けながらも、
それに立ち向かおうとする
意志と、
国家としての矜持が
刻まれているのだ。
盧溝橋事件から五年、
ノモンハン事件から三年
という、
各地に敵対勢力を抱える
困難な国際情勢のなかに
あっても、
日本はなおアジア解放の
理想を捨て去ることなく、
その歩みを力強く進めていた
のだ。
アメリカという強大な敵と
真っ向から対峙する決意を固め、
極めて危険な行動に出ること
すら辞さなかった背景には、
アジア諸民族の独立と自由を
実現したいという強い志が
存在したのだ。
その志は、山中氏の生涯
からも明確に読み取る
ことができるのだ。
彼は中国のみならず、
インド、ベトナム、
東南アジア諸国にまで
目を向け、
アジア人が欧米列強の支配
から解放される日を願い
続けたのであるのだ。
こうした時代背景を顧みるとき、
当時の日本人がどれほどの
代償を払う覚悟をもって
この志に殉じたかが実感され、
胸を打たれる思いを禁じ得ない
のだ。
まさに、山中氏の著作と生涯は、
当時の日本人の覚悟と理想の
証左であるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

