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合致しとんじゃ

どうも村田です

引っかかってくるのが

『魏志倭人伝』の

女王卑弥呼なのだ

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

のことだと思うけれども、

247年ぐらいに亡くなって、

大きな塚を造ったという

ことなのだ。

これは本当の年代だとは

思うけれども、

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

というのが長命であった

というふうに思うのだ。

だから、天孫を

送り出してから帰って

くる寸前まで

生きておられた

のではないかと

いうふうに思って

いるのだ。

それか、長崎という説が

結構学界でもあるのだが、

それにはもしかしたら

長い治世の中でちょうど

代替わりしているのでは

ないかという説があるのだ。

それが天岩戸の事件

なのだ。

岩戸となると、やはり

陵(みささぎ)というか、

岩に隠れるということ

だから、代が替わった

ということを半分意味

するのだ。

それとなく『日本書紀』

も、神話の中で代が

替わったということを

示唆しているのかも

分からないけれど、

代案があり、高皇産霊尊

(たかみむすひのみこと)

の長女が、

栲幡千千姫尊

(たくはたちぢのひめのみこと)

で、

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

のお母さんになるのだ。

その栲幡千千姫尊

(たくはたちぢのひめのみこと)

が、何と伊勢神宮の

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

を祭っているわけだが、

相殿の神というのがあり

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

天手力男神

(あめのたぢからのみこと)、

それから栲幡千千姫尊

(たくはたちぢのひめのみこと)

が相殿の神になっているのだ。

ということは、

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

としてはかわいがった

お嫁さんだが、

家系としても高皇産霊尊

(たかみむすひのみこと)

の娘だから、

女性としては

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

に次ぐ高位の女性であった

のだ。

だから、もし

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

の治世が長すぎたとなると、

この栲幡千千姫尊

(たくはたちぢのひめのみこと)

が代替わりしたのではないか

ということなのだ。

それも伊勢神宮の相殿の神に

なったということに補強して

いるのではないかというふうに

考えているわけなのだ。

天照大神

(あまてらすおおみかみ)

と卑弥呼が同一人物だと

いうその根拠をなのだが

1つは、年代的に考える

ことにずばり合ってしまう

わけで、

日本の古代で高位の女性が

2人いたというのはおかしい

話で、

やはり同一人物では

なかったかというのが、

時代的な流れからする

のが1つ。

それからもう1つは、

これはあまり言われて

いないのだが、

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

と共同で

高天原(たかまがはら)

を統治したのが

高皇産霊尊

(たかみむすひのみこと)

なのだ。

『魏志倭人伝』には、

「女王卑弥呼には男の弟、

男帝がいた」ということが

書かれているのだ。

男帝については、ただ

男帝が至っているだけで、

彼についての業績などは

全く出ていないのだ

けれども、ただ卑弥呼に

対して食事の供与から

すべてを任されてやって

いたとは書いてあるのだ

が名前も分からないのだ。

しかし、その男性の存在

というのがすごく

うかがわれるのだ。

それとちょうど

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

と高皇産霊尊

(たかみむすひのみこと)、

それから卑弥呼と男帝、

これが同じ相関関係

だったかというと、

ちょうど合っているわけ

なのだ。

なかなかそういう例は

ないのだが、その点、

男帝という

卑弥呼における男の弟に

ついての研究が全く

学者たちにはなされて

いないということなのだ。

しかも、学者たちも

『日本書紀』をあまり

読んでいないので、

高皇産霊尊

(たかみむすひのみこと)

の存在というのもあまり

頭にないのだ。

だから、まとまりようが

ないのだ。それが2番目

なのだ。

やはり高位の女性

というのが、それから後、

『日本書紀』には

あまり出ていないのだが、

卑弥呼が今箸墓の古墳に

葬られたのではないか

というのがほぼ説に

なっているので、

それが考古学的に

ほとんど最終の結論だが、

紀元240年から260年に

築造されたということ

なのだ。

そうなると、ちょうど

『魏志倭人伝』の247年

に亡くなったというのと

ほとんど合致してしまって

いるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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