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引っかかるんじゃ

どうも村田です

今日は七夕じゃが

続きを書くのじゃ

瓊瓊杵尊

(ににぎのみこと)

の皇后である

木花之佐久夜毘売

(このはなのさくやびめ)

との間に

3人の息子をもうける

ことになっているわけ

だが、

『日本書紀』にも

次男が「隼人の祖」と、

かっこ付けだが書いて

あるのだ。

隼人というのは、

『日本書紀』の

履中天皇ぐらいの時に、

随分「隼人」

というのが出てくる

のだが、本当を言えば、

南の端の、悪く言えば

劣ったような、ただ

武勇には優れていた

という隼人男とか、

薩摩隼人というぐらい

だから武勇には優れて

いたわけで、

あまり文化的には

高くはなかったのだ。

しかし、天皇家というか、

高天原(たかまがはら)

政権は、

そのことを嫌なこと

とかそういうことは

記さないで、

「大事にされて戻ってきた」

というふうに書いているから、

大和の方にあった人たちと、

それから南九州の人たちの

血が混ざったという、

これはトータル的に

見れば日本では良かった

ことではないかなと思って

いるのだ。

それで、天孫が九州に

行った、高千穂から

笠沙の岬に行ったというのは、

あまり考えられない話で、

何も当時の工業地帯が

あるとか文化的な都がある

とかというのは全くない

わけだから、それは

ナンセンスな話なのだ

やはり高千穂宮、

高千穂峰というのは、

九州のシンボル、

象徴ではないかなと

思っているわけなのだ。

それで、北九州経由で

狗奴国(くぬこく)、

熊本と戦いをして、

結局負けて、南九州経由

で戻ってきたということ

なのだ。

これは学者の先生方も、

3分の1か4分の1ぐらいは

その説だと思うが、

天孫であって、天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

が北九州の甘木とか朝倉とか、

あの辺りにおられて

ということが、

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

の存在を一応信じている

学者の人たちがそう言って

いるわけなのだ。

それも分からないこと

ではないのだが、

甘木とか朝倉にいたのは、

天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

が孫の

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

を南九州に派遣するなんて

おかしな話で、

ましてや

木花之佐久夜毘売

(このはなのさくやびめ)

の出自が『日本書紀』にも

少し出ているけれど、

大山津見神

(おおやまつみのかみ)

の娘というふうに出て

いるのだ。

大山津見というのは、

大山祇(おおやまづみ)

神社という、

瀬戸内海の要地で大三島

という島があり

今も有名な神社があるけれど、

そこの娘さんと結婚した

ということだから、

瀬戸内海を通って行った

ということは確かな話

なのだ。

火の国というのは

高天原(たかまがはら)

政権とは対抗していたから

それをやっつけない

ことには全国統一が

できないという話なのだ

『神代記』はいつごろの

年代なのかだが

年代というのは非常に

難しいのだ

神武天皇即位が250年

ぐらいという推定をして

いるわけだが、

そうなると、その前の

『神代記』というのは

そう古い話ではないと

いうことなのだ。

紀元200年から250年の

間が天照大御神

(あまてらすおおみかみ)

と日向三代のおられた

年代ではないかなと

思っているのだ。

ざっと年代を考えてみると、

例の北九州説で有名な

安本美典さんという人がいて、

天皇1代10年説というのを

唱えているのだ。

今の高名な学者たちは、

1代というのは20~30年

と思っている人たちが多い

から、

全く合わないのだが、

よくよく考えてみると、

奈良7代70年というのが

まずあるのだ。

そうなると、

「天皇の1代というのは

そんなに長くない。

だから、10年がいい

ところじゃないか」

というのが安本美典さん

の考えなのだ。

彼の説を継いで、

今のところ『日本書紀』

を追い求めていくと、

応神天皇というのが

『日本書紀』

と『百済本記』とか、

高句麗の広開土王碑、

それから百済から

神功皇后に送られた

七支刀、7つの枝の刀の

年代等々を合わせると、

応神天皇の即位が390年

とほぼ推定されるのだ。

そうすると、応神天皇が

15代だから、それまで

14人の天皇皇后がいた

ということで、

14掛ける平均10年とすると、

140年になるのだ。

そうすると、神武天皇

というのはどうなるか

250年ということに

なるのだ。

ということからも分かる

ように、天皇家の発祥の

初代の天皇である

神武天皇が、そんな

昔の話ではなくて、

せいぜい250年なのだ。

これに引っかかってくるのが

『魏志倭人伝』の女王卑弥呼

なのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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