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主張しとんじゃ

どうも村田です

そこに日本が足を

据えるべき基盤がある

と考えたのであるのだ。

農村というものは、

単に農業や田んぼに

関わる場だけではなく、

深い意味で共同体の

役割を果たしていたのだ。

村の人びとは互いに

助け合い、学校では

子どもたちが学び、

病気になった際には

村の人びとが看病し、

出産もおこなわれるなど、

このような農村共同体の

なかで、人びとは生活を

支え合っていたのである

のだ。

このように、農村の

共同体のなかには

さまざまな役割が詰まって

いたということだろうか。

清水が強調したのは、

日本において都市と農村は

分離していないということ

であったのだ。

都市から多くの文化人が

農村に足を運び、都市と

農村の間には交流があった

ことを彼は訴えたのである

のだ。

清水は、日本の文化水準が

非常に均一であったことを

言及したのだ。

寺子屋などの存在を挙げ、

農村が開かれた存在であり、

古代ほどではないにせよ、

神社を中心に人びとが

各々の役割をもち、完結

できる世界が形成されて

いたと述べたのだ。

そして、農村や農民自身が

国家の礎としての意識をもち、

それが誇りとなり、

国家の成立に貢献していた

と考えていたのであるのだ。

日本の右翼思想家である

権藤成卿は、五・一五事件

には直接関わって

いなかったが、

農村自給運動や疲弊した

農村の救済に強い関心を

もっていたのだ。

権藤は、日本の根本に

あるものとして

「社稷」を挙げているのだ。

権藤成卿が提唱する

「社稷」の概念において、

農村や都市などの共同体の

第一の役割は、

その構成員を経済的に

豊かにすることであるのだ。

また、露骨には述べて

いないが、結婚ができる

ようにすることも共同体の

使命であるとされるのだ。

そして国家権力は、

こうした自立した相互扶助

の共同体に干渉しては

いけないと強調しているのだ。

明治維新後に資本主義が

導入され、村や町の

自発的な共同体が

上から支配され、解体

されてしまったことを

批判しているのだ。

現在の日本社会において、

結婚できない若者や

働いても豊かになれない

人びとなどのさまざまな

社会問題が山積しているのだ。

そのなかで、農村が

果たしていた問題解決の

役割は非常に大きいと

いえるのだ。

清水は農村を専門にして

いたため農村という言葉を

使ったが、

彼が言いたかったのは

(農村のことだけではなくて)

共同体の在り方であるのだ。

つまり、

(共同体が閉鎖的か

どうかではなくて)

そのなかで構成員が幸せに

生きられるためのシステムを、

外部の力を借りずに

自立できるように作る

べきだということなのだ。

これは、清水が

マルクス主義を彼なりに

乗り越えたうえで目指した

日本の在り方であるのだ。

実際、戦中や戦前において、

古典・古代的な共同体の

姿はほとんど実態としては

疑わしいものであったのだ。

清水自身もそのことは

理解しており、そのため、

まず古典古代的な共同体の

姿を国民に訴えたのだ。

だが、そのまま現代の

視点でそれを再現する

ことはできないのだ。

神社に参拝しても、古代の

人びとが感じたような体験を

することはできないから

であるのだ。

では、どうやって

新しいものを作っていくか

結論として、清水は

この本で新しいイメージを

示すことができなかったのだ。

また、ほかの論文でも

彼の考える共同体と皇室、

国家が一体化したイメージを

示すことはできずに終わったが、

それでも彼が一生をかけて

この問題に取り組んだこと

には大きな意味があると

言えるのだ。

清水の著作のなかで

もっとも印象に残る文章は、

今回の復刻本の付録として

後半に収録されている

『演伎小史』

であるのだ。

この作品は、当時の映画人を

対象とした講演をもとに

まとめられたものであり、

歴史に難しさを感じる者や、

映画やアニメーションに

興味を持つ者にとっては、

今回の「素描 祖国の歴史」

よりも先に読むことで理解が

深まる内容となっているのだ。

『演伎小史』

のなかで清水は興味深い

指摘をいくつもしているが、

とくに印象的なのは、

映画と日本の中世、とりわけ

鎌倉時代に盛んに作られた

絵巻物を比較して、

絵巻物は映画と同質のもの

であると論じている点である

のだ。

絵は一枚ごとにひとつの

時間しか表さないが、

それが連続することで

物語が進行していくのだ。

この構造は、漫画にも

通じるものがあるが、彼に

とっては映画のカット割りに

相当するものであったのだ。

絵巻物は映画のカット割り

と同じ発想に基づいており、

まさに映画の先祖といえる

存在であるのだ。

そして、難解な古典書を

読むことができない大衆

であっても、

絵巻物を通じて歴史の

物語を共有することが

できたのだ。

彼は、映画もまた同様の

役割を果たすべきもの

であると強く主張している

のだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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