どうも村田です
呼びだしの声を待つ
この和歌と、人間の
真の自由は
どう関係しているのか
ということを、小林秀雄は
説明せずに
「考えてください。
関係しているんですよ」
と言ってるのだ。
ともあれ、松陰は
こうして『留魂録』の筆を
置いたのだ。
『留魂録』が完成した翌日の朝、
松陰が待っていた処刑を
言い渡すための呼びだしの
声がかかるのだ。
それを聞いて、松陰は
またしても筆を取り
懐に入れていた紙にこう
書きつけたわけなのだ。
それは現物が残っており
「此の程に思ひ定めし出立は
けふきくこそ嬉しかりける」
歌の意味は
「これまで長い間ずっと
覚悟を定めていた死出の旅。
その旅に『さあ、どうぞ』
と呼びだしてくれる声を、
今日ようやく聞くことが
できました。そのことが私には
うれしくてなりません。」
この1筆も現物が残っているのだが、
写真版を見ると急いで書かれては
いるのだが、実に落ち着いた流麗な
筆跡なのだ。
まずはそのことに驚かされるが、
それともう1つ驚かされることが
あるのだ。
それは現物の「き」と「く」の所に、
小さな点が書いてあると思うが。
この文字の所に小さな点が付けて
あるということなのだ。
つまり、5・7・5・7・7という
和歌の形からすると、4句目の
「けふきくこそ」は1音足りない
のだ。
書いた後、松陰はそのことに
気付いたわけだが、
「もう手直しする時間がない。
とりあえず私はそのことに
気付いたんだが、直している
時間がありません」
という意味を込めて、そこに
小さな点を付けたのだろう。
その最後に付けた小さな点が、
松陰の最後の筆跡ということに
なったのだ。
その後、松陰は慌ただしく評定所に
引き立てられ、死刑の判決を受け、
刑場に向かうのだ。
それでも松陰の思いの発信は
終わってないのだ。
評定所で判決を受けた後、
大きな声で『留魂録』の初めに
掲げられている
「身はたとひ武蔵の野辺に」
という和歌と、さらに新しく
作った漢詩の2つを朗々と
吟じたのだ。
その漢詩は、それを聞いた人が
書き留めて、今に伝えられて
いるのだ。
その漢詩は、今は「辞世」と
呼ばれているのだ。
現代語訳で読むのだ。
「私はこれから国のために
死にます。死んでも主君や
両親に対して恥ずべきことは
何もありません。
もはや私はこの世のあらゆる
ことを伸び伸びとした気持ちで
受け入れています。
今は私の人生のすべてを
ただ神のご笑覧に委ねます。」
書き下し分で原文を読むのだ。
「吾今 国の為に死す
死して 君親に負かず悠悠たり
天地の事 鑑照 明神に在り」
松陰の思いの発信は、最後の
最後のぎりぎりの瞬間まで
続けられたわけだが、これが
本当の最期になったのだ。
この「辞世」は、わずか
漢字20字のものだが、そこには
松陰という人の人生のすべてが
美しく結晶化しているように
思われるのだ。
松陰の最期の様子については、
さまざまな記録が残されて
いるのだ。
まず、評定所で判決を受けた時の
様子については、そこに立ち会った
長州藩士の談話が残っているのだ。
それを読むと
「奉行などの幕府の役人たちは、
正面の上座に並んで座っていました。
私は下の段の右脇の場所に横向きに
座っていました。しばらくして、
松陰が潜り戸から護送の役人に
導かれて入ってきます。
そして、決められた席に着き、
軽く1礼すると、並んでいる人々を
見回したのです。
髪やひげ がぼうぼうと伸びて
いました。しかし、眼光は
炯々(けいけい)として、
前に見た時とは別人のようでした。
その姿には、何というか、一種の
すごみがありました。」
「すぐに死罪を申し渡す文書の
読み聞かせがあり、その後、
役人が松陰に「立ちなさい」
と告げます。
すると松陰は立ち上がり、
私の方を向いて微笑みながら
1礼し、再び潜り戸から出て
行ったのです。
するとその直後、朗々と漢詩を
吟ずる声が聞こえてきました。
それは『吾今国の為に死 す
死して 君親に負かず 悠悠たり
天地の事 鑑照 明神に在り』
という漢詩です。」
「その時、まだ幕府の役人たちは
席に座っていましたが、厳粛な
顔つきで襟を正して聞いており
ました。
私はまるで胸をえぐられるような
思いでした。護送の役人たちも、
松陰を止めるのを忘れて、
それに聞き入っていました。
しかし、漢詩の吟詠が終わると、
役人たちはハッとわれに返り、
慌てて松陰をかごに入らせ、
急いで伝馬町の獄に向かいました。」
以上だが、正午ごろ、一説には
午前10時ごろ、一度伝馬町の
獄に戻ってから、その後松陰は
処刑場に向かうのだ。
処刑される時の様子は、
依田学海という漢学者の日記に
こう書かれているのだ。
「先立って、川本三省とともに
吉本平三郎という八丁堀の同心
の家に行って、さまざまな話を
しました。
その時、平三郎がこういうことを
言っていました。先ごろ死罪に
なった吉田寅次郎の振る舞いには
皆、感動して泣いていました。
奉行から死罪を言い渡されると、
『かしこまりました』と丁寧に
答えて、普段評定所に行く時に
介添えしてくれた役人にも、
『長らくお世話になりました』
と優しく言ったそうです。」
「そして、いよいよ処刑という
時になると、
『鼻をかませてください』
と言って、
その後は心を静かに構えて首を
打たれたそうです。そもそも
死刑になった者というのは
これまでたくさんいますが、
これほどまでに落ち着いて
死んでいった者は見たことが
ありません。
多くの者は死刑の判決を読み
聞かせられると、興奮して顔が
赤くなり、刑場に行く時はもう
腰が立たないので、
左右から抱えて刑場に行くのですが、
そういう時、足の踵は宙に浮いたまま
刑場に連れて行かれるのが常なのです。」
つづきは次回だ
今日はこのくらいにしといたる