どうも村田です
松陰は、はっきりと
自分の命を1つの賭けに
差し出そうとしていたのだ。
しかし、その賭けは、
どちらに転んだとしても
生きてその結果を見届ける
ことはできないという賭け
なのだ。
松陰はある意味、死を
待ち望んでいたわけなのだ。
ただ、そのころまでは
いくら死を望んでも
得られなかったのだ。
しかし、松陰がそのような
絶望的な心境からしばらく
すると心を持ち直し、
「生きて志を遂げよう。
生き残ってとにかく志を
遂げる時を待とう」
と思い始めた時、皮肉な
ことにこれまでいくら
求めても得られなかった
死が、
松陰のそばにひたひたと
近づきつつあったのだ。
安政6年4月19日、
まず幕府から
「江戸の長州藩邸
に松陰を送れ」
との命令が届き、
その幕府からの命令を
伝えるため、長州藩の
役人が萩へと向かうのだ。
それを受けた長州藩の
首脳部は、これ幸いと
いうわけでもなかった
のだろうが、
そのことを松陰の
家族に伝えるのだ。
安政6年5月14日午後、
兄の杉梅太郎が野山獄を
訪ねるのだ。
この時、松陰は兄から
「おい。幕府から長州藩に
おまえを江戸に送れという
命令が出た」と聞くのだ。
それを聞いた瞬間、
松陰は何と言ったか。
「それはでかした」
と言って喜んだそうなのだ。
多分松陰は、自分の命の
良い使い道が見つかったと
思ったのだろう。
しかし、そのような
事態になっても長州藩の
重臣たちが心配していたのは、
「松陰が江戸に行って余計な
ことをしゃべるんじゃないか」
とか、
「門人たちが何か恐ろしい
行動を起こすんじゃないか」
とか、
そういうことばかりだったのだ。
しかし、そうではない
勇気ある人々もいたのだ。
何より松陰がそうだったし、
松陰の家族や志の高い門人
たちはそうだったのだ。
「松陰先生が江戸に
送られるらしいぞ」
という話が広まると、
多くの人たちが松陰を
訪ねてくるようになったのだ。
門人の松浦松洞という
人物は絵の得意な凡人で
あったから、
松陰の肖像画を描いた
のもそのころであるのだ。
よく知られているもので
あるけれど、松浦松洞は
何枚も人から頼まれて、
「俺にも描いてくれ、
俺にも描いてくれ」
ということで何枚も描いた
そうだが、そのころの
松洞が描いた何枚かの絵が
松陰を目の前にして描かれた
唯一の絵であって、
在りし日の松陰の面影を
今に伝える貴重な史料に
なっているのだ。
なお、ネット上などには
松陰の偽写真が出回って
いるので、その点どうか
ご用心ください。
ネット上では吉田松陰
といって写真が出てくる
のだが、これは偽物なのだ
しかし、
「この絵より明治になって
門人たちの意見を入れて
作成された木像の方が松陰の
面影をよく伝えている」
と言われているのだ。
比べてみると、この絵の
方は29歳の人にしては
少し老けているのだ。
木造の方は、
「なるほど、29歳の青年だな」
という感じがするのだ。
絵の方は、松陰自身が
口を出して
「ああしろ、こうしろ」
と言ったようなのだ。
多分吉田松陰は、
「若くないように描いてくれ」
と言ったのだと思うのだ。
これは想像だが、ただ門人
たちから見ると似ていない
ということで、
明治時代になって、
いかにも29歳の青年の
松陰の木像が作られた
ということだろう。
今の人は若く見られたがる
けれど、昔の人の感覚は
少し違って、
若いということは未熟な
ことであるということで
あるので、
老成するというのは良い
ことだと考えられていた
ということなのだ。
これも現代人と価値観が
だいぶ違うので、現代の
価値観で過去を見ないように
していただきたいと思うのだ。
さて、このようにして
次々と描き上がる肖像画に、
「松陰自身が一文を
書き入れてはどうか」
と勧める人がいたのだ。
これを「賛」と言い
自画自賛の「賛」なのだ。
その賛の中には、松陰が
最も心の支えとした孟子の
言葉がほぼそのまま
引かれているのだ。
孟子の言葉とは
こういうものなのだ。
「至誠にして動かざる者は、
いまだこれあらざるなり
二十一回孟子」、
これは松陰の語なのだ。
意味は、
「誠を極めれば、その力に
よって動かし得ないような
ものはこの世の中には
1つもない」
ということで、もしも
「吉田松陰を象徴する
言葉を1つ挙げろ」と
言われれば、
何と言ってもこの至誠、
誠の至る、誠を致す、
この「至誠」という2文字
になるだろう。
松陰は
「自分の至誠によって
幕府の役人たちの心も
動かしてみせる」
という意気込みで江戸送り
に臨んでいたのだ。
獄の役人の厚意で、松陰は
江戸に送られる前、1晩だけ
家に帰ることを許されるのだ。
夜が明けて5月25日、
松陰は江戸に向かうのだ。
くしくもこの日は、松陰が
尊敬してやまなかった忠臣、
楠木正成が討ち死にをした
日なのだ。
つまり、今も
神戸の湊川神社で
行われている楠公祭
の日なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる