どうも村田です
例えば
パリ・ダカール・ラリー
で車が故障する、人間が
故障する、
いろいろなことでもう
断念しようというような
局面や、
会計検査員や、いろいろな
リゾートの管理など、
本当に難問中の難問に
たくさん遭遇されて、
それをテキパキと処理されて
目的を完遂するということが
本の中にたくさん書かれて
いるのだが、
どうすればそのような
ことができたのか。
そのコツを教えて欲しいのだ。
違うところは、例えば私が
富士学校の教官でいた時も、
部長から、いち教官に
「この計画を検討せよ」
と出されるわけなのだ。
恭しく部長室に行って
もらって、皆さんは
どうするかというと、
パッと見ただけで
「できません」
と言うのだ。
「難しい。できません」
と言うのだ。
そのようなことは、最初
から上司は分かっているのだ。
しかし、私は恭しくいただいて、
持って帰って、検討して、
よく見るのだ。
そうすると、なぜできないか
というのが分かるのだ。
そこだけを上司に
申しあげるのだ。
「あとはすべてできます。
ただし、ここだけは私の
今の力量ではできません」
と言うのだ。
例えば、1億円、2億円の
予算が付いているものであれば、
いちぺーぺーができるわけが
ないのだ。
そこを申しあげるのだ。
「すべてできます」とまず
言うのだ。
「実は、1つだけお願いが
あります。この予算の捻出は
私の今の力では無理ですので、
部長、よろしくお願い
できますか?」と言うと、
最初から分かっているのだから
「分かった。いいよ、
おまえに任せる」となるわけなのだ。
これは、自衛隊だけではないのだ。
官僚、諸官みんなそうだと
言うのだ。
だから、私は前の総理大臣の
管さんはこれを打破しようと
したのだ。
どこの省庁でも
「やりたくない」という
理論を最初に持ってくるのだ。
「こうだからできません」
というやりたくない理論を
持っていくので、これが
官僚の悪いくせなのだ。
私は絶対に
「やれない。できない」
という理由は持っていかない
のだ。
これが私のこだわりで
それで、上司に考えて
もらいましたし、難しいこと
ほど自分が引き受けるのだ。
ある時、停弾堤というのが
あって、無反動砲、要するに
戦車などの目標に撃つと、
昔は自然の丘や山にぶつけて、
弾着を見たのだが、昔演習場外
に出た弾があって、
それからきれいに真っ平らに
削って、ここを目標にして
撃たないといけないのだ。
そうすると、これは1年や
2年ですぐ壊れてしまうのだ。
ある時、富士学校長が困って
しまって、施設大隊長に
「お願いできないか」と言うと、
もう時間がなくて、施設大隊は
「4ヶ月から6ヶ月かかる。
できません」と言ったのだ。
誰かのミスで早くやれば
いいのに、もう1月を過ぎて
いたのだ。
予算は3月までに執行
しないといけないから、
その時に教導連隊長に
富士学校長からアドバイス
が出てきたのだ。
連隊長は困り
「高橋、ちょっとやっ
てくれんか」と言われたので
「分かりました。その代わり、
やりますけれども、この
1ヶ月間でやれ。施設大隊が
4ヶ月から6ヶ月かかる
というのを1ヶ月でやれ」
これを完遂したのだ
三島由紀夫の最期の
場面を彼がどういう
思いで演じたのか知る
よしもないが、
私としての思いは、
姓名判断が示すように、
「不条理な世中の矛盾を解決・
調整するために自己犠牲の
精神を発揮したりして、
世のため人のため身を捧げて
生涯を閉じた」
そういう思いを強く感じて
いるのだ。
五十数年前から日本の危機感
の乏しさと油断を知り、
憂国の思いで警世を発して、
勇気ある行動をもって一番
大切な人たちのために命を
かけた彼の本当の姿は、
真面目で純粋に満ちた思いやり、
深い心にあったと思うのだ。
つまり
「我是不是我的我」
を意識していたのかも知れ
ないのだ。
信頼できる者以外は、
絶対に本心を観せない
ことも命名数霊に翻弄された
人生であったと考えられるのだ。
ifの話だが
もし三島由紀夫に関して
マイナスの印象を抱いて
おられる方がいたら、
三島由紀夫の懐に思い切って
入ってみるとイメージが
違って来るものと思うのだ。
宮本雅史氏は、
「日本に喝」
の中で三島文学は、小説から
評論随筆と幅広くテーマも
沢山あり範囲も広い。
改めて読み直すと三島由紀夫が
いかに的確に未来を見通す
「預言者」であったかが分る
と評論されているのだ。
半世紀以上さかのぼって
彼が日本の将来を心配
されていたことは、
近年誰の目にも正義感の
強い人であったればこそと、
理解できると思うのだ。
真のご理解を願う中において
多くの方々に正しい評価を
戴ければ、星空の彼方で
微笑むこども心をもつ彼の
お顔が思い浮ぶのだ。
あのやさしくて穏やかで
宇宙的な彼の愛こそが
真実を語っていると思うのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる