どうも村田です
冨澤さんの話の中に
出てくる統率について
考えてみると、
冨澤さんは統率について
「才に優れ、人徳があり、
とてもいい人は、統率力に
優れている」という、
彼のそういったことを
じっくりと考えてみると、
「私は三島先生と約1ヶ月
の生活体験の中で、楯の会
側から見れば部外者では
あるけれど、
信頼のおけるいいやつで
あったということを早々と
三島先生の能力からして
お認めになられていたはず
であるのだ。
その男の号令に簡単に
従って即行動を起したのだ。
何が三島先生を突き動かした
のか、それはむずかしく言うと、
この男の統率力ではないか」
と私は思ったのだ。
まだ20~21歳で統率力と
いうのはおこがましいのだが、
当時、私はたたき上げの将校
だから、兵隊から経験して
いるわけなのだ。
それで、最初に自衛隊に
入って滝ヶ原自衛隊に
後期教育に入隊した時に、
その隣の班長のヒラノキヨシ
という当時三等陸曹でもう
今は85歳ぐらいなのだが、
私は懐かしくてちょこちょこ
行くのだが、彼がいつも
言うのだ。
「おまえは18で入ってきた
時から、もうなぜか知らん
けどすべてが成熟していたよね」
と言うので、「えっ」と
思ったのだ。
こちらはただ無我夢中で
やっていることが、上司
から見たら
「おまえの能力ってもう
とっくの昔に成熟していて
われわれ以上だよ」と、
18の新隊員教育隊の隊員
からそう言われたことが
あるのだ。
それから2年ぐらいして、
こういう三島先生付きに
なったのだが、
そうするとまず先生も
そこを感じたのかなと
私は思ったのだ。
それで、三島先生が
ここで得た教訓というのは、
いやな仕事、困難を伴う
任務に人をさそい出すには、
優れた統率力が必要である
ことを知ったはずなのだ。
普通だったら絶対に
行かないけれども、
「先生、急いでね」
と言ったら急ぎに急いで
自分も行動を起こして
しまったわけなのだ。
後で考えてみたら、
「あいつにしてやられたかな」
と思ったかもしれないけれど、
その力は何なのだろうと
彼は考えたわけなのだ。
つまり、三島先生が言う
「内部の呼び声」
であるということなのだ。
自衛隊体験入隊3ないし
4年間で得た三島先生の指揮、
指導訓練のまだまだ未熟な
中にあって、
この統率力の威力を体験し、
最も重要であることを知った
今、三島先生の演出する
死の名場面に参加させる
会員の人選と彼らを進んで
あの難局(戦場)に
引っぱり出し、
参加させるには、彼らを
良い方向に感化する統率力
が必要であることをこの
場面で気付いたのでは
ないかと私は思ったのだ。
それで、先生ご自身の
この段階での統率力は、
必ずしも成熟した統率力
ではなく、
それなりの成熟度であった
と思われるわけなのだ。
それはもう、冨澤閣下も
そのように指摘している
わけなのだ。
「ほとんどないだろう」
と冨澤閣下は言われている
のだが、
自衛隊にこれだけおられた
から、それなりの何かを
得たということなのだ。
「ご自分の統率力を最大限
に生かすには、行動させる
部隊の規模を間違えては
いけない」というのは、
先ほど言った通りなのだ。
三島先生のこの段階での
能力は、自衛隊流の部隊の
規模を参考にすると、
分隊もしくは組程度である
と思われるのだ。
つまり規模としては、
5名を指揮する能力である。
この規模であれば、十分に
今の先生の統率の能力から
しても可能であるということ
がよく分かると思うのだ。
十分統率力の発揮が期待
できるものと考えられるのだ。
ちなみに、先ほど申した
ように10名の場合は班長が
指揮して、30名の場合は
小隊といって
小隊長が指揮して、
100名以上の場合は
中隊クラスなのだ。
ここで1つの例題を取って
みると、
やはり赤穂浪士の
大石内蔵助は48名の隊員を
指揮したわけで、
そうすると大体2個小隊を
指揮できるような統率力を
身に付けていたということで、
彼は赤穂藩の家老であって
相当ご苦労されていて、
自分たちの父親もそこの
家老職をやっていたから、
やはり代々そういうことを
身に付けてきたということ
なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる