どうも村田です
今日からは
三島由紀夫について
良く知る人の対談を
書いていくのだ
少し、文章が対談の為
おかしいところも出て
来ると思うがご容赦
下さいなのだ
では行くのだ
ヒーリング、すなわち
神霊的な癒やしだが、
この世界的な3本の指に
入ると言われている先生に
話を伺いたいと思うのだ。
雅号が呑脩と言われるのだが、
先生は三島由紀夫先生との
すごく親密なご関係が昔
あったということで、
今日話してただくのだけれど、
まずは先生について、紹介
させていただきたいのだ。
先生については、
「富士山を全部語れ」
というぐらい大変な内容が
あるので、
先生ご自身がお書きになられた
『運命と心の行き先』
という本を一生懸命読んで、
そしてその中から先生について、
「これだ」と思うことを紹介
させていただきたいのだ。
ここに「自叙伝」があるが、
ベンジャミン・フランクリン
から大層な人たち、
有名な人たちのものが
たくさんあるけれど、
初めて先生の自叙伝を拝見して、
ほかの有名な人の自叙伝には
ないものが入っているという
ことを深く感じたのだ。
この本を読むと、実に不思議な
ことなのだが、肉体、生命
というわれわれの有機的な
ものの治療、救済、それから
人間というのは肉体の存在の
中にエネルギーというものが
1つあるのだけれど、
そのエネルギーというものが
強化されるという側面、
3つ目は、われわれの中には
魂というのが宿っているけれど、
魂を癒やすという、この3つ
なのだ
たかだか1週間もかからず
バッと読んだのだが、読んで
いる中でグッとくるものが
あったのだ。
これは今までの伝記で
「こんなすごいことをやった」
「何とかを発明した」
というものとは違って、
本当に見えないオーラというか、
そういうものを感じたのだ。
この本が、まだ試販本と
聞いていたけれど、これは
いずれ世に出されれば、
ベストセラーになるのでは
ないかと思っているのだ。
まず先生は、大東亜戦争が
終わって、終戦で、1945年、
昭和20年、
その2年後の、まだ
アメリカの占領統治下に
ある日本で、
1947年9月15日、
しかもその9月15日という
日の真夜中の1時26分に
岩手県の釜石鉱山でお生まれ
になったのだ。
まさにこの9月15日という
日は、アメリカ軍が命名した
カスリーンという魔女の
名前か何か知らないが、
その魔女のような名前の
台風が来て、特に関東、
東北地方を襲って、
約2,000人の犠牲者が出る
ような中で、雷鳴とどろき、
大雨が降り、大風が吹いたのだ
『新約聖書』『旧約聖書』
を何回も読んだが、
全知全能の神と言われる
ヤハウェ
という地球をつくった
すごい神様がいるのだが、
このヤハウェが地上に
降りてくる時には、雷鳴
とどろき、嵐が吹くと
言われてるのだ
誕生のこんな奇跡的な日に、
先生はお生まれになったのだ。
そして、その赤ん坊の両手
には、弘法大師と同じように、
秘密十字という手相が刻印
されているのだ。
右手のここには、知能線と
運命線の間に十字架があるのだ
これが秘密十字と言うのだ。
先生はこれが両手にある
という、非常にまれな
持ち主なのだ。
ちょうどここにあるが、
これが感情線、これが
知能線なのだ。
ここのちょうど中間に
十字があるのだ。
それを先生は2つお持ちに
なって、グッと握りしめて
お生まれになったということ
なのだ
実は同じ刻印が、あの
空海と言われる弘法大師に
あったというふうに
歴史には記されているのだ。
この両手に秘密十字という、
片手もそうなのだが、
それはどんな人が持って
いるかというと、
「信仰心にあつい人や、
神秘的なことに強い関心を
持つ人に多く見受けられ
スピリチュアルな話や占い、
ヒーリングや夢、目に
見えない世界や現象など
に理解があり、霊感も強い
とされるのだ。
また、予期せぬ行為も
幸運も授かることがある」、
こういうふうに説明が
なされているのだ。
先生の不思議な人生には、
まだまだほかの話もたくさん
あるのだ。
その1つが、先生が卒業
された釜石南高校というのは、
鉄道の釜石線の松倉駅がある
のだが、
先生が通学された釜石線の
松倉駅という駅から10分の
所に先生の母校の釜石南
高校があったそうなのだ。
この松倉駅というは、
宮沢賢治という同じ
岩手県出身の文学者が
いるけれど、
この方が書いた
『銀河鉄道の夜』
という小説の中で、
サザンクロス駅というのが
出てくるのだ。
サザンクロスという
オーストラリア原産の花
があるのだが、
この駅の名前を南十字星駅
というふうにも言われるが、
この同じ駅で降りて、
学校に通われたのだ。
従って先生は、自伝の中に
「自分はこの駅が天国の
入り口。この現世において、
非常に素晴らしいことを
やった方は、みんな天国の
入り口で終わるのだ。
降りるのだ」と、
先生は毎日天国の入り口で
降りて高校に通われたのだ。
だから、先生の釜石南高校
というのは、いわば
天国高校だったのではないかと、
ご自分の自伝で書かれている
けれど、そう思うのだ。
宮沢賢治というのは、
非常にスピリチュアルな
多くの文学を残しているが、
そこにはまだ解明できない
ような思想的なものがある
のだが、
そういう青春時代、自衛隊
に入隊されるまでを過ご
されたというのも非常に
興味深い話だと思うのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる