どうも村田です
渋沢の指導精神について、
本人の文章を紹介するのだ
渋沢栄一の本は、今、
ちょっとした本屋、
出版社が競って出してるのだ
一番読まれているのは
『論語と算盤』
なのだ
角川ソフィア文庫とか、
ほかも出してるのだ
それから、『渋沢百訓』
なんかが一番よく売れて
るのだ
多くの人が
「やはり渋沢的な経済経営
でないとダメだね」
と思うからこそ、本がよく
読まれているのだと思うのだ
『論語と算盤』
「富を成す根源は何かと
言えば、仁義道徳だ」
と言うのだ
「自分が豊かになろうと
思ったら、自分の会社が
もうけようと思ったならば、
どういう経営をしなければ
いけないか。仁義道徳に
立って経済経営をしなければ
いけない、実業をしなければ
いけない」、
こう言うのだ
根本精神なのだ
机上の空論じゃないのだ
この精神で商売をやって、
500の企業をみんなうまく
いかせたわけなのだ
また
「正しい道理の富でなければ、
その富は完全に永続すること
はできぬ」、
「金もうけして財産を
たくさん持つ、それを永続
させようと思ったら、
正しい道理に基づかなければ
ならない。すなわち、
仁義道徳に基づかなければ
ならない」
こう言うのだ
渋沢は少年時から教育を
受けたのだが、それは
儒教的な倫理道徳なのだ
儒教・漢学が中心で
渋沢はその中でも論語に
一番大きな影響を受けて、
こう言うのだ
「私は論語で一生を貫いて
見せる。論語の教訓を標準
として、一生商売をやって
みようと決心した。それは
明治6年5月のことであった」
論語は言うまでもないと
思うのだが孔子の言行録
なのだ。
四書五経と言うが、その
四書の中の1つが論語なのだ
論語が座右の書だったのだ
「論語で自分は実務を
やってみせる。私の処世の
世の中をやっていく。
処世の方針としては、今日
まで忠恕一貫の思想で
やり通した」
忠恕というのは、
論語の根本精神なのだ
忠は誠、真心で
恕は思いやり、慈悲
これが渋沢の根本方針なのだ
素晴らしいのだ
空理空論ではない
ということなのだ。
これで一生やりぬいて、
そして日本資本主義の
父と言われた、実業王と
言われた、
財界の大御所と
仰がれたわけなのだ
だから、今日の経済経営を
やる人も、この渋沢の
指導精神をやはり仰が
なければならない、そう
思うのだ
さらにもう1つ、渋沢栄一は、
「武士道は実業道と一致
しなければならない」、
こう言うのだ
渋沢は92歳で亡くなるまで
自分は武士だという精神で
やった人なのだ
だからこう言うのだ
「私は常に士魂商才と
いうことを唱道する」
士魂というのは武士の魂
なのだ
商才というのは商人の
才能なのだ
実業家の才能、士魂商才
ということを、唱道と
いうのは訴えるという
ことなのだ
そして
「今や武士道は移して
もって直ちに実業道と
するが良い。日本人は
あくまで和魂の権化」
権化というのは象徴という
ような意味なのだ
「権化たる武士道を
持って立たねばならぬ」、
簡単に言うとこうなのだ
渋沢の根本精神は長く
言うと何冊かの本になる
けれど、短く言うと、
この4つ、5つ、6つの
言葉に尽きるのだ
素晴らしいと思うのだ
「この精神こそ、今日の
経済人が、実業家が継承
しなければならない、
いやいや、経済人、実業家
だけではない、普通の人々、
普通の日本人もまさにこの
精神でいかなければいけないな」、
こう思うのだ
「渋沢においては、儒教と
実業道、武士道と実業道は
完全に一致していた。
渋沢は生涯、武士道の精神
と武士の誇りに生きた。
渋沢の実業道を貫く根本
の心は、
結局、尊皇愛国の武士道
であった」、
天皇陛下を尊敬し、
国を愛する、
それが武士道なのだ
「一生を実業の世界に置いた
渋沢の唯一の願いは、
一身一家の出世繁栄ではなく、
祖国日本の確固不動の独立
であり、世界への雄飛で
あったのだ。
明治日本の奇跡の歴史、
有色人種民族中、真に
自立を堅持し、日露戦争に
勝利し、
欧米中心の世界史に一変を
もたらすうえに、政治軍事
のみならず、
その他各方面に渋沢を
はじめとする傑出した
人物が輩出したが、
彼らの心の底に共通して
あったものこそ、祖国日本
へのこの烈々たる燃える
ような思いであった」と、
ここが大事であるかと
思うのだ
今の経済人、経営陣に
もし欠けるところ、
足らないところがあると
すると、ここではないか
と思うのだ
渋沢の精神は完全に忘れ
去られてはないけれど、
この国につながる精神なのだ
それはだいぶ欠けている
とも思うのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる