どうも村田です
明治維新は徳川幕府を
なくすだけではできないのだ
2百数十の藩も全部なくして
県にしないと近代的国家には
ならないのだ。
廃藩置県が実現して初めて
日本は近代国家として新しく
出発できたわけなのだ。
その廃藩置県の事務方の
責任者が渋沢栄一なのだ
当時の上役が井上馨で
大蔵大輔という大蔵次官なのだ
「渋沢君、いよいよ廃藩置県だ。
早急にその事務手続き、藩から
県にする事務手続きをしなきゃ
いけない。
もう1ヶ月、2ヶ月やらなきゃ
いけないから、君、その原案を練れ」
と、そういう無理な注文なのだ。
それも見事にやり遂げるのだ
だから、渋沢栄一がもし大蔵省にいた
ならば、間違いなく大蔵大臣になった
と思うのだ。
明治最高の大蔵大臣になったに
違いないのだ
もし幕臣出身者でなかったならば、
ひょっとしたら総理大臣になったかも
しれないのだ
そういう政治的能力も十分あったのだ
珍しいのだ。
経済経営的能力は持って生まれた
ものなのだ。
それに政治家的能力もあって、
なかなかこの2つの能力は揃わない
のだ。
渋沢栄一は両方あった
ということなのだ
さて、事情があり、3年半で大蔵省を
辞めたのだ。
その後、第5の人生の大転換、
実業界に転出するのだ。
これが渋沢にとって一番大きな
仕事になるのだ。
それから亡くなる92歳まで、
明治の実業、明治財界の大御所、
近代資本主義の父として、比較を
絶する素晴らしい働きをする
ことになるのだ
さて、1つだけ大蔵省時代の逸話を
話しておくのだ。
大蔵省時代、当時の明治維新政府の
最高の幹部たちと知り合いになり
その中で渋沢栄一が一番大きな感化、
影響を受けた人物は一体誰だったのか
一番深く接したのは伊藤博文であり、
井上馨であり、それから大隈重信なのだ。
それからもっと上に大久保利通と木戸孝允、
維新三傑のうちの2人
これらの人と接したけれど、一番強い印象
を受けたのが西郷隆盛だったのだ
これについては、面白いところなのだ
渋沢栄一と西郷隆盛の人物はあまり、
何か遠く離れたような感じがするのだ。
ところが渋沢とは最も人間の形が違って
いると一般的には見られる西郷を、実は
一番深く尊敬するのだ
どうして尊敬したのか、それは
渋沢の中にある侍の心なのだ
渋沢は百姓出身だけれど、結局武士に
なってしまったのだ
渋沢の一生を貫いたのは、
実は侍の精神なのだ。
それを士魂商才という言葉を
使うのだ
実業家として後半生を過ごしたけれど、
「自分は武士道の精神を持って経済を
行うんだ、経営を行うんだ」
と言った人なのだ
武士をもって任じた人物であるのだ。
その渋沢が明治のそうそうたる
指導者の中で一番共感を表明した
のが西郷隆盛なのだ。
西郷隆盛の武士の典型を見たのだ。
それを少し紹介するのだ
いよいよ渋沢栄一の渋沢栄一たる
所以なのだ。
実業家、経済人、経営者としての
渋沢栄一の大活躍ぶりを話させて
いただくのだ。
渋沢栄一は34歳で転身し。 その時
渋沢栄一はこう思ったそうなのだ。
「自分はとんでもない人生の回り道をした」
と、「道草をくってしまった」と
大後悔をするのだ
自分は尊皇攘夷の志士になったり、
幕臣になったり、新政府の高級官僚に
なってしまったけれど 、
それは自分の本当の道では
なかったという反省と後悔なのだ
「自分の本当の得手は、取り柄は、
結局経営者、経済人、実業人、もともと
そっちだったじゃな いか。
なのに34歳までそれを忘れて違う
ことをやってしまった。人生を棒に
振ってしまった」という後悔なのだ
今なら「34歳は若いじゃないか」と、
こう思うところだが、当時人生50年
の時代なのだ。
だから34といったら今の50代に
当たるのだ。
だから「あとはあまり残ってない」と、
少し焦ったのだ。
結局92まで生きたのだが
さて、
「よし、フランスで学んだ
3つのことをやろう」
近代的金融制度、銀行なのだ。
そして株式会社をつくることなのだ
そして鉄道
「近代国家として日本が発展する
鍵はこの3つにあるんだから。それに
一番最初 に気付いたのが自分なんだ
から、よし、自分はこれをやるぞ」
と、全力を挙げて進んだのだ
まず最初に近代的金融業、銀行を
起こしたのだ。
それがわが国最初の銀行、
第一国立銀行なのだ。
現みずほ銀行
第一国立銀行という名称を使ったが、
民間の私立の銀行なのだ。
国立というのは、
「ナショナルバンク」
という英語を日本語に直した時に、
国立銀行という名を使ったのだが、
私立の銀行なのだ
この銀行創設には大変な
努力をしたのだ。
当時の有力な金融業者、豪商、
為替業者、江戸時代からずっと
続いている三井組だとか小野組
というのが最大の金融業者なのだ。
「それじゃダメだ」と、
彼は自分のものすごいお金を持って
いたから、それで為替業をやっている
のだが、
いかに金をたくさん持っていると
言ったって、それは個人の金に
すぎないのだ。
それでは大きな仕事ができないのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる