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戻すことができるんじゃ

どうも村田です

わが国の

「神代の物語」

では、外国のように

「神が天地をつくった」

ことにはなっていないのだ。

天地がはじまった頃には、

高天の原に「神」が

お生まれになっているのだ。

どちらが先ということは

ないのだ。

天地がはじまった頃、まず

最初にアメノミナカヌシの神が

現れ、そのあと、

「神聖な生成の霊力」

の神々である

タカミムスビの神

とカミムスビの神の

二神が現れるのだ。

その後もたくさんの神が

現れるが、やがて

イザナギの神という男性の神と、

イザナミの神という女性の神が

現れるのだ。

個性をもった神々の物語は、

ここからはじまるのだ。

イザナギ・イザナミの二神は、

「この漂っている国土を、

よく治め整えよ」

という命令を受けるのだ。

そこで二柱の神は、

「天の浮橋」に立たれ、

「矛」で下界をかきまぜて、

引き上げられた「矛」の

先からしたたりおちた雫が、

この世ではじめての島になるのだ。

これが「オノコロ島」。

二柱の神は島に降り立ち、

結婚するのだ。

だが、なかなかよい子に

恵まれないのだ。

天上界の神に相談すると

「まず女性から先に声を

かけたのがよくなかった」

と言うので、

男性の方から先に声をかけて

結婚の儀式をやり直すと、

次々とよい神々が生まれて

くるのだ。

わが国の国土はこの

「国生み」

によって生まれてくるのだ。

その後、たくさんの神が

生まれるが、イザナミの神は

最後に火の神をお産みになるのだ。

しかし、その火に焼かれて

亡くなってしまうのだ。

イザナギの神は諦めきれず、

亡き妻を追いかけて、

死者の国の入口まで行き、

「どうか帰ってきてほしい」

と頼むのだ。

亡き妻は、戸の内側から

「死者の国の神と相談して

くるので、しばらくお待ち

ください。けっして戸の中を

見てはいけません」

と言うのだ。

しかし、イザナギの神はこの

タブーを破り、戸の中を見て

しまうのだ。

「見るな」と言われて見て

しまうのは、世界の伝承の常

なのだ。

イザナギの神が死者の国の

入口の戸の中を見ると、

亡き妻は見るも恐ろしい

姿になっていたのだ。

それを見て、イザナギの神は

逃げ出すが、恐ろしい姿を

見られてしまった妻は、怒り

狂って追いかけてくるのだ。

イザナギの神は何とか逃げ切り、

死者の国の入口を大きな岩で

塞ぐのだ。

こうして離婚は成立。

水の中で体を清めると、

太陽の神であるアマテラス大神や、

その弟の神スサノヲの命が

お生まれになったのだ。

イザナギ・イザナミのお話には、

さまざまな「日本人の心のかたち」

が現れているのだ。

例えば、二柱の神がよい子に

恵まれずに困って、天上界の

神に相談されるが、

その天上界の神も自分の独断で

物事を決めず、占いによって

決めているのだ。

これは、誰か一人の絶対者が

独断で判断するのではなく、

相談を繰り返して、責任の所在が

よくわからない形で意思決定が

なされるという、

日本人の意思決定の

「かたち」を象徴しているのだ。

もちろん、これにはいい面と

悪い面とがあるのだ。

また、男女は平等だが、肉体的な

違いははっきりあるということが、

赤裸々に表現されているのだ。

「ジェンダーフリー」

の運動家たちの考え方とは真逆

なのだ。

性別に基づく文化は、まず

守られなければならないと

いう教えが秘められているのだ。

ユダヤ教・キリスト教では、

唯一心が「地の塵」から

男性アダムをつくり、

その助け手としてアダムの

あばら骨から、女性イブを

つくったのだ。

ここには明らかに女性差別の

思想が見られるのだ。

イスラム教が過激な

女性差別主義であることは

有名なのだ。

仏教でも、原始仏典の一つ

「ウダーナヴァルガ」

には、お釈迦さまが男女の

交わりを否定的に考えていた

ことを示す記述があるのだ。

儒教でも、孔子は

「女子と小人は養い難し」

(『論語』陽貨)

と述べているのだ。

かつては、ほぼ世界中が

女性差別の考え方に

基づいて文明を築いていた

ことがわかるのだ。

日本は海外の女性観とは違う

のだ。

イザナギの神と

イザナミの神で

どちらが偉いという

ことはないのだ。

そもそも、最高神と言っても

いいアマテラス大神は女性

なのだ。

神道ほど男女平等

(むしろ女性上位)

な信仰は世界を探しても稀有

なのだ。

男女の「かかわり方」の

文化はあるが、要はそれだけ

なのだ。

これほど平等で、

おおらかな男女観が

根底にある近代国家は

ほかにないのだ。

「ジェンダー」「フェミニズム」

などの考え方は、それまでの

欧米文化があまりにも男性優位

だったため、その反動で過激化

しているのだ。

男女の生物学的な違いまで

否定しようとしているが、

やはり男女の生物学的な

違いは認めるべきなのだ。

男女の違いを認めながら、

お互いに尊重し合うことの

大切さは、

例えば「教育勅語」の

「夫婦あい和し」という

言葉にも表現されているのだ。

日本は少子化が問題と

なっているが、

イザナギの神と

イザナミの神のように、

まず男性から

「なんとすばらしい女性だろう」

と声を掛け、次に女性が

「なんとすばらしい男性でしょう」

と声を掛けるという、人として

礼儀正しく、かつ愛情に満ちた

男女のかかわり方がおおらかに

できる世の中に戻すことが必要

であるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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