どうも村田です
「神話」ではなく
「神代の物語」としてお話を
していきたいのだ。
平成 (2005)年の話だが、ある
二人の勉強熱心な女子学生
が研究室を訪ね、
「神話って何ですか?」
と質問したのだ。
「今はつくり話のように
言われているが……」
と言いかけると、
その学生たちは
「つくり話じゃなかったんですか!」
と驚きの声を挙げたのだ。
伊勢神宮のお膝元の大学の学生が
「神話はつくり話」だと思っていた
ことにショックを受けたのだ。
老若男女を問わず、いまは日本人が
日本の神様のことをほとんど
知らないのではないかと思ったのだ。
日本人が日本の神様のことをほとんど
知らなくなったのには、さまざまな
原因が考えられるのだ。
近代合理主義、唯物主義が浸透した
こともあるかもしれないし、
大東亜戦争後のGHQ支配のもとで
つくられた統 制的環境がいまも継続
しているのかもしれないのだ。
GHQによる情報統制や日本国憲法制定、
法改正は、そもそも国際法 違反である
のだ。
GHQの勝手な振舞いの中、
昭和22 (1947)年に「皇室祭祀令」が
廃止され、皇室祭祀は、法的には
「天皇の私的な活動」
とされてしまったのだ。
戦後、GHQは皇室の弱体化を図る
ための露骨な政策を次々と
打ち出したのだ。
皇室祭祀を支える法律を廃止させる
とともに、いわゆる
「神道指令」を出すなど
さまざまな方法で日本国民全体の
精神の改造乗り出したのだ。
GHQによって公職追放された20万人
ものひとたちは、文字通り、食べて
いけなくなったのだ。
GHQは徹底的に、精神的な意味での
「日本」を破壊し尽くしたのだ。
本来なら、昭和 (1952)年の主権回復と
ともに、皇室祭祀も「天皇」「神道」
「神社」の扱いも、
「終身、日本歴史、及び地理」
の授業等も正しく復活させられる
べきだったのだ。
しかし、戦後の政治家たちは
それをしなかったのだ。
戦後の学校教育の現場では、
皇室敵視(皇室無視)、
神道敵視(神道無視)
教育が続けられてきたのだ。
明治以後、日本の知識人たちは、
もともと差別的・侮蔑的な意味を
含んでいる「神話」という言葉を、
何の考えもなく中立的な意味だと
勘違いして受け入れてしまい、
唯物主義的な観点から研究と教育を
進めてきてしまったのだ。
これは、もともと排他的な一神教の
思想に基づく、欧米の近代合理主義的
思想から生じた弊害なのだ。
『古事記』『日本書紀』等に
記されている神々の物語を、
江戸時代の皇学者(国学者)らは
「古伝」と呼んでいたのだ。
近代になると、それがいつのまにか
「神話」と呼ばれるようになって
いったのだ。
日本人が日本の神々の物語を
「神話」と呼ぶのは、実は
日本人自身が日本の神々を
軽んじていることになるのでは
ないだろうか。
「神話」とは「myth」の翻訳語で、
明治 (1899)年から一般でも広く
用いられるようになった言葉なのだ。
「myth」には
「つくり話」「でっち上げ」「根拠のない話」
という、きわめて否定的な意味が含まれている
のだ。
長く一神教を報じてきた人々から
見ると、ギリシャ、ゲル マン、ケルトなど、
多神教の世界の神々の物語は
「つくり話」「でっ ち上げ」
「根拠のない話」に見えたのだろう。
ギリシャ、ゲルマン、ケルトなど、
海外の神々の物語を「神話」と
呼ぶことには、大きな違和感はないのだ。
その神々の子孫が国家の君主として
存在しているわけではなく、その
神々を祭る祭祀続いているわけ
でもなく、
その神々を信じている人々が
神殿を守っているわけでもない から
なのだ。
外国の神々の、断片的に残る物語を
日本人が「神話」と呼ぶのは、特に
問題はないだろう。
わが国に生きる人々にとって、
わが国に伝わる神々の物語は、
特別な意味を持っているのだ。
我が国の神々は、稀有なことに、
いまも生きておられるのだ。
威張る必要はないが、心の底で
誇りに思うべきことなのだ。
神代の物語は、日本人の心の
かたちであるのだ。
近代の歴史学や国文学の方法
だけでは、わが国の「神代の物語」
の本質をつかむことはできない
のではないだろうか。
河合隼雄氏の深層心理学との
出会いから、「神代の物語」が
心の中で 生き生きとしたもの
として現れてくるようになったのだ。
「神代の物語」
とは、私たち日本人の心の中の
物語でもあり、日本人の心のかたち
が現れているのだ。
「この世を超えた何か尊い存在」
を信じているかどうかが重要な点
なのだ。
それのある人が「信仰を持っている人」。
それを持たない「保守」には皇室の
本質はわからないし、日本の本質も
わからないのだ。
そもそもそういう人を「保守」
とは言えないのだ。
日本の本質がわかっていて、
間違いなく「保守」と言える
戦後の知識人もいるのだ。
例えば、小林秀雄氏。
彼が晩年に没頭したのが、本居宣長の
学問・思想の研究なのだ。
本居宣長のおかげで、その後の
日本人は『古事記』をかなり正確に
読むことができるようになったのだ。
幕末維新から明治にかけ、世界を
覆った欧米列強による世界植民地化
の危機から日本が救われたのは、
明治維新という大業が成就したから
なのだ。
その原動力の一つに、本居宣長
に代表される皇学という学問が
あったのだ。
今、国際情勢が極めて厳しく変動し、
先が見えない時代だからこそ、
あらためで「日本とは何か」
を学ぶ必要があり、そのためにも
「神代の物語」
を生き生きとしたものとして
よみがえらせなければならないのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる