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記されとんじゃ

どうも村田です

藤原は陸上自衛隊調査学校

の教育方針に「知・魂・技」

を掲げたのだ。

それについて藤原の女婿で

元陸上幕僚長の冨澤暉元陸将は

『F機関』(basilico)で次のように

述べているのだ。

〈旧陸軍時代に「魂」だけで務めた

自らを反省し、戦中は敵の英国から

学び、戦後は友邦たる米国から学んだ

「智と技」を加えたものと思われる〉

二〇〇一年三月、陸上自衛隊

調査学校は廃止され、新編された

陸上自衛隊小平学校に併合されたのだ。

さらに、二〇一八年三月には、

小平学校の情報教育部と

語学教育部を母体に富士駐屯地に

陸上自衛隊情報学校が新編(新設)

されたのだ。

陸軍中野学校の精神や諜報・謀略 の

ノウハウは、現在も霊峰富士の麓で

情報要員の教育に生かされているのは

間違いない事実であるのだ。


藤原は、その後、第一二師団長

(群馬県相馬原駐屯地)、

第一師団長(東京都練馬駐屯地)を

歴任した後、一九六六年一月、

依願退職したのだ。

藤原は制服を脱ぐ前から東南アジア諸国

の関係者と個人的な関りをもっていたが、

退職して自由になると、各国を訪問して

現地の要人と関係を深めたのだ。

インドネシア情勢については、

スカルノ失脚不可避の見通しを

外務省よりも先に政界に伝えた

といわれるのだ。

藤原と三島由紀夫の関係については、

山本舜勝【きよかつ】(陸士五二期)が、

「三島のクーデター計画に

藤原も関わっていた」

と著書で書いているが、その詳細は

不明であるのだ。

藤原は田中清玄

(非合法時代の日本共産党中央委員長で、

転向後は実業家・政治活動家・

CIA協力者 ・フィクサー)に紹介されて

三島と知り合ったというのだ。

藤原が三島に自衛隊関係者を紹介した

のは事実だと思うのだ。

三島は体験入隊という形で、 陸上

自衛隊富士学校の幹部レンジャー課程

を体験するなど、自衛隊と深くかかわり、

多くの隊員(将官から陸曹まで)と親交を

結んでいたのだ。

多くの自衛官が三島の印象や人柄を

口にしていたのだ。

普通科教導連隊(静岡県滝ケ原駐屯地)には

「深き夜に暁告ぐるくたかけの

若きを率(ゐ)てぞ 越ゆる峯々」

という歌碑が連隊の営庭の片隅にあった

(「くたかけ」とは雄鶏の意味)。

三島事件

(一九七〇 年一一月二五日)

の衝撃冷めやらぬは、小さな火山岩に

刻まれたその歌碑から、在りし日の

三島由紀夫の懊悩を、内容は違うものの

『暗夜行路』(志賀直哉)に出てくる

時任健作の大山登山の場面と重ねて

偲んだものであるのだ

陸上自衛隊に陸軍中野学校の精神や

諜報・謀略のノウハウを伝えたもう

一人の人物は山本舜勝であるのだ。

山本は陸軍中野学校の研究員兼教官

として、主に遊撃隊の教育を行って

いるときに終戦を迎えたのだ。

元々は戦車隊中隊長だった山本は、

遊撃戦の教育を受けたわけではなく、

見様見真似で研究し、

中野学校の学生たちと共に

学んでいたのではないかと推測

するのだ。

山本は、陸上自衛隊調査学校の

対心理情報過程の創設(一九五九年)

に携わったのだ。

対心理情報過程(現在の心理戦防護過程)は、

敵地域などでの情報収集や遊撃活動などを

行う幹部を育成することを目的としていた

のだ。

名称の心理戦だけでなく、諜報や遊撃戦

といった教育も行われていたといわれる

のだ。

日本共産党は、陸軍調査学校の

対心理情報課程の卒業生らがつくった

「青桐グループ」を「影の軍隊」

と呼んで目の敵にしていたのだ。

日本共産党としては、「青桐グループ」

が日本共産党の武力(暴力)革命を阻止する

「最大の敵」であると位置づけていた

からであろう。

心理情報過程の噂をいくつか聞いたのだ。

卒業試験では、針金一本でどんな鍵

でも数 秒で解錠できるかどうかが

試され、

一般人を尾行してその人の家に潜入し、

写真を撮影したり間取りを見てきたり

するとも聞いたのだ。

真偽のほどはわからないが、そんな

噂が流れるほどだから、それに近い

教育が行われていたのだろう。

その後、山本は調査学校の教育課長、

副校長を歴任して、一九七二年に

陸上自衛隊を退官したのだ。

山本は退官前、三島由紀夫が結成した

「楯の会」に対して諜報・工作の

指導を行っていたのだ。

一九六八年一〇月二一日の国際反戦デー

の新宿騒乱では、山本の指導のもと、

調査学 校の学生(現職自衛官)と楯の会の

メンバー数十人がデモ隊の中に潜入し、

組織のリーダ ーを特定するなどの

諜報活動を行ったというのだ。

まさに実戦訓練なのだ。

三島由紀夫の「クーデター計画」は、

翌年の国際反戦デーに実行される予定

だったのだ。

山本の著書『自衛隊「影の部隊」

三島由紀夫を殺した真実の告白』

(講談社)には、

クーデター計画の概要が

記されているのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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