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苦悩していたようなんじゃ

どうも村田です

中野卒業生は諜報

のみならず防諜に

おいても活躍したのだ。

陸軍大臣直轄の防諜組織

として、ヤマ機関という

特務機関があったのだ。

日本では、「山」と問われたら、

「川」と答える合言葉が有名で、

一七〇二年一二月一四日、

吉良上野介邸に討ち入った

赤穂浪士の合言葉も

「山」と「川」であったのだ。

ヤマ機関という名称は、

この有名な合言葉の「山」

に由来するものだという。

このヤマ機関は日本軍の中

でも謎の組織だったのだ。

戦後の東京裁判で、

田中隆吉元陸軍少将がヤマ機関

について暴露しようとしたのだ。

ヤマ機関のトップだった某大佐が

アメリカの諜報関係者から

ヤマ機関に関する田中隆吉の

暴露証言に関して尋問されたのだ。

答えに窮した某大佐は

「田中隆吉は一度頭が狂った

ことがある。その暴露証言は

妄想に基づいて言っているん

じゃないか、

あなたが言うような防諜機関は

日本にはなかった」と言って

切り抜けたのだ。

田中隆吉は形の上ではヤマ機関の

トップにあたる陸軍省兵務局長

だったこともあるのだが、彼は

その詳しい内実は知らなかった

ようなのだ。

このエピソードのように、

ヤマ機関というのは上司さえも

知らない秘密の中の秘密の組織

だったのだ。

ヤマ機関は諜報・工作機関の

一つであるが、防諜が主任務

だったのだ。

工作内容は以下のように

分けられていたのだ。

甲号工作……無線暗号解読

乙号工作……有線盗聴

丙号工作……開錠、盗写

(各種施錠の開閉及び写真撮影)

丁号工作……特殊場所における

マイク盗聴

戊号工作……封筒開緘【かいかん】、

盗写

辛号工作……工作員潜入

己号工作……教育した女中・

書生などの利用

これらヤマ機関の工作の

一端を紹介するのだ。

「甲号工作」は、無線暗号の

解読であるのだ。

ゾルゲ諜報団の一員でドイツ人

のブランコ・ド・ブーゲリッチは、

日本で得た秘密情報を暗号電報

にして、赤軍参謀本部情報総局

(通称GRU)に報告していたのだ。

ヤマ機関の甲号工作は、

このような不審な電波の発信場所を

特定したり、暗号を解読したりした

のだ。

「乙号工作」は、電話の盗聴

なのだ。

ヤマ機関は、東條総理の意向に

反する戦争反対論を唱えていた

吉田茂、近衛文麿、鳩山一郎らの

電話を盗聴していたのだ。

中野学校第4期生で吉田茂の

スパイだった東輝次【てるじ】

(戊4期)は、その詳細を

『私は吉田茂のスパイだった』

(光人社)に記しているのだ。

東は牛込区若松町にあった

陸軍軍医学校に隣接する古ぼけた

2階建ての屋敷で、

吉田茂ほか2名の盗聴を担当

していたのだ。

東たちは、吉田茂を「ヨハンセン」

という通称で呼び、本名は絶対に

口にしなかったのだ。

ちなみに、近衛文麿は「コーゲン」、

鳩山一郎は「ハリス」、

岩渕辰雄は「イワン」だったという

のだ。

その後、吉田などに対して、

「辛号工作」(工作員潜入)、

「己号工作」(諜報教育した

女中・書生などの利用)も行ったのだ。

永田町の吉田邸に、訓練した

女性を女中として住み込ませて

工作を行ったのだ。

吉田茂の妾が大磯の吉田別邸に

疎開すると、吉田は頻繁に大磯に

通うようになるのだ。

吉田の電話盗聴の担当だった

東輝次は本籍を姫路から東京に移し、

偽の卒業証明書を準備し、

傷痍【しょうい】軍人の証明書も

偽造したのだ。

東京生まれで京華商業卒業の

傷痍軍人に偽装して、大磯の

吉田別邸に書生として住み込む

ことに成功。

役目はもちろん吉田茂の

監視であるのだ。

東は中野学校で学んだことを

実践し、忠実に吉田の監視を

行っていたが、

次第に吉田茂の人柄に魅了されて

いき、畏敬の念を抱き始めるのだ。

後に吉田は憲兵に連行されるのだが、

東は「年老いた吉田が、それほど

軍部にとって強敵なのだろうか。

この老人は悪人ではない。任務上、

こうして密偵として余がいるけれど、

決して憎める人ではないのである」

と書いているのだ。

東は吉田に対する同情心・尊敬の

念と吉田を裏切る後ろめたさとの

間で苦悩していたようなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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