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おかげなんじゃ

どうも村田です

第一五軍隷下の四個師団は、

当初は快進撃を続けたのだ。

インド国民軍も参戦して

大きな戦果を上げたが、

次第に戦況は悪化したのだ。

七月初頭までの約四ヶ月間で、

七万人以上の死傷者を出す

「史上最悪の作戦」

と言われるほどの惨敗振り

だったのだ。

日本軍の兵士もインド国民軍

の兵士も、心身共に消耗

しきって、まるで地獄絵図の

ような有様で退却したのだった。

終戦後の一九四五年一〇月、

英国はインド国民軍の

反逆将兵らを軍事裁判にかけた

のだ。

英国側としては、彼らを

厳刑に処し、インド国内に

おける英国の権威を見せつける

つもりだったのだ。

しかしインド国内では、

裁判の中止や将兵らの即時解放、

さらにはインド統治権の返還を

訴えるデモが各地で沸き起こった

のだ。

長年英国の支配に苦しんで

きた国民にとって、インド

国民軍の将兵は愛国者であり

英雄だったのだ。

それに対して英国は締め付け

を強化したが、これが逆効果で、

抗議デモは暴動へとエスカレート

していったのだ。

そんな騒乱の最中の

一九四六年二月二一日、

英海軍のインド人海軍乗組員

たちが一斉に反乱を起こした

のだ。

二〇隻ほどの艦船を乗っ取り、

兵器庫まで占拠し、英軍は

手を出せないほどの状況に

陥ったのだ。

英国の閣僚使節団がインドを

訪問して、有力指導者らと

会談したのだ。

その結果、インドの独立を

許容せざるを得ない状況だ

という認識・結論に至ったのだ。

その後、中間暫定政府が設立

されるなど、インド独立の

準備が進められたのだ。

そして、一九四八年八月九日、

インド独立令が下り、インドは

英国から完全に統治権を勝ち

取ったのだ。

ついに、インドは独立を

果たしたのだ。

インド独立の立役者と

なったインド国民軍は、

F機関長の藤原岩市少佐

(中野学校教官)

と中野卒業生らによって

創設され、その勢力を拡大

していった経緯があるのだ。

F機関から岩畔機関、そして

光機関に引き継がれていった

インド独立への道は、

その三機関とも中野卒業生が

中心になって運営・活動した

と言っても過言ではないのだ。

これまで大東亜戦争における

中野出身者の活躍を見てきたが、

大げさに言えば、

大英帝国による世界支配体制

(パクス・ブリタニカ)

を倒したのは、中野卒業生

だったのではないだろうか。

藤井厳喜【げんき】氏は

著書『太平洋戦争の大嘘』

(ダイレクト出版)で、

次のように述べているのだ。

〈一九四五年以降は、

イギリスに代わって、

アメリカがナンバーワンの

世界覇権国家となりました。

(中略)

余りに大きかったイギリスの

勝利の代償として、イギリス

は第二次世界大戦後、

次々にその植民地を失い、

覇権国家としては完全に

没落してしまった〉

これを現実のものとしたのが、

実質的には中野卒業生だった

のではないか。

言わせていただくなら、

「パクス・ブリタニカを

崩壊させたのは中野卒業生

である。

さらに言えば、その後、

アメリカが世界覇権体制

=パクス・アメリカーナを

確立できたのは日本軍・

中野卒業生のお陰である」と。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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