どうも村田です

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そんな事情から、二人の面倒は、
参謀本部ではなく、鈴木個人が
見ることになった
が、衣・食・住すべてにわたる
ケアは大変だったのだ。
住居も二転三転する始末で
そんな鈴木に追い風が吹いたのだ。
実は、海軍軍令部も参謀本部と
同じ問題を研究していたのだ。
上官暴行事件で免官となった
国分正三元海軍大尉は、ビルマに
おいて独自に諜報活動や、 独立
運動支援を行っていたのだ。
海軍軍令部は国分に
「ビルマ施策大綱」
という工作計画を書かせ、参謀本部
に先んじてビルマ工作の実施を決定
したのだ。
海軍軍令部のビルマ工作計画を
知った参謀本部は慌てたが、
「実は陸軍にも、すでにその計画が
ある。しかも陸軍の方は、すでに二名
のビルマ独立運動の青年まで日本に
連れてきている」
と取り繕って、海軍よりも遅れている
ことを誤魔化し急場をしのいだのだ。
これにより、参謀本部は、今まで
無視していた鈴木の
「ビルマ工作準備
(二青年の隠密 招致など)」
を既成事実として認めたのだ。
事は鈴木の思惑通り運んだのである
のだ。
このような経緯から、ビルマ工作は
陸海軍の合同でやることになり、
一九四一年二月一 日、
鈴木大佐を機関長とする大本営直属
の特務機関「南機関」が正式に発足
したのだ。
発足時 の主要メンバーは次の通り
であり、発足当初から中野学校
出身者が主流となったのだ。
さしあたり対外的には
「南方企業調査会」
との偽称を用いることとしたのだ。
その後、同年夏には海軍側は
全面的に手を引き、南機関は
陸軍の工作機関となったのだ。
陸軍 – 鈴木敬司大佐(機関長)、
川島威伸大尉、加久保尚身大尉、
野田毅中尉、高橋八郎中尉、
山本政義中尉(川島大尉、加久保大尉、
山本中尉は中野学校出身)
海軍 – 児島斉志大佐、日高震作中佐、
永山俊三少佐
民間 – 国分正三元海軍大尉、
樋口猛(中野学校出身)、杉井満、
水谷伊那雄
南機関は直ちにビルマ謀略計画
(二月案)を策定したのだ。
その骨子は以下の通りなのだ
一、将来独立運動の中心となるべき
ビルマ青年三十名を日本に脱出せしめ、
海南島または台湾において武装蜂起の
軍事教育をほどこす。
二、教育を終わったビルマ青年には、
武器、弾薬、謀略資材、並びに資金を
与えてビルマ に潜入せしめ、ビルマ
国内において反英暴動を起こさせ、
南部地区を占領させる。
この青年らによって獲得されたゲリラ
部隊も、逐次占領地域を広めて英人を
駆逐、ビルマ人宿願の独立を達成する
と同時に、すみやかにビルマ人の手で
援蒋ビルマ・ルートを遮断する。
武装蜂起は大体、昭和十六年六月を
予定して準備を進める。
三、南機関をビルマ・タイ国境の、
タイ国内に配置、ビルマ脱出青年の
受け入れ及び再投 入工作、並びに
独立運動支援の連絡に当たらせる。
同時にタイ国境からビルマに通ずる
道路地形を偵察、兵要地誌を作成。
ビルマ領内における反英闘争の兵器
弾薬を、バンコック港から極秘で
タイ・ビルマ国境へ運び、ビルマ領内
に投入、独立党員に支給する。
南機関は、この計画の第一項にある
「ビルマ青年三十名を日本に脱出」
させることに取り組んだのだ。
英国官憲・情報機関を出し抜くこの
工作は至難の業だったが、苦労の末
達成できたのだ。
中野卒業生主体の工作員たちは、
鈴木の指導で現地住民の信頼を
得るために現地人女性と結婚する
者もいたのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる