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重要な狙いだったんじゃ

どうも村田です

三月一日、第一六軍が

ジャワ島西部のメラク海岸に

上陸するのを機に、第一六軍

を支援する

陸軍航空部隊にバンドン

放送局の爆撃命令が下された

のだ。

電波乗っ取りを目論む

太郎良中尉らは、今か今かと

固唾をのんで待っていたが、

バンドン放送局の放送は

中断されなかったのだ。

蘭印軍司令部の慌ただしい

様子が伝わって来るだけで、

何の変化もなく十数時間が

過ぎていったのだ。

第五航空軍は地上作戦の

協力を優先し、放送局の爆撃

という特殊な任務を後回しに

したようであるのだ。

太郎良中尉らは、このまま

指をくわえて見ているわけ

にもいかず、サイゴン放送局

からバンドン放送局に向けて

同じ波長の電波を飛ばしてみた

のだ。

すると、これが妨害電波となり、

バンドン放送局の声が聞こえ

なくなったのだ。

太郎良中尉らは、この効果(現象)

から妙案を思いつき、急遽、計

を変更することになったのだ。

妨害電波を送り続けてバンドン

の放送を無効化しつつ、少しだけ

周波数を変えて

「こちらはバンドン放送局です。

○○の破壊は別命があるまで

待ってください」など、

バンドン放送局になりすまして、

「偽の破壊禁止命令」を放送

することにしたのだ。

サイゴン放送局からの放送が

ジャワ島全域に届いているのか、

偽の放送だと見破られていない

のか一切わからないままに、

偽放送は何時間も続けられたのだ。

すると、インドのニューデリーに

ある英国の放送局が

「日本陸軍がチラチャップ岬

(中部ジャワ州チラチャップ県)

に上陸した」

という放送をしたのだ。

この内容は、太郎良中尉らの

サイゴン放送局から流した

偽情報であり、

謀略放送が諜報・防諜の大国である

英国までも欺く効果を上げている

ことを確認できた瞬間だったのだ。

太郎良中尉らは妨害電波を中止して、

バンドン放送局の様子を窺うと、

「日本軍の謀略ラジオに騙されては

いけない。私の声がバンドン放送です。

先ほどの破壊中止命令は嘘である。

指示どおり破壊してください」

と放送していたのだ。

それに対抗して太郎良らの

サイゴン放送局も

「私の声がバンドン放送です」

と流し、ジャワ島内を混乱させた

のであったのだ。

その後、陸軍航空部隊がバンドン

放送局を爆撃して沈黙させ、

サイゴン放送局は、

当初の予定どおりバンドン放送局

に取って替わり、オランダ軍が

降伏するまで、

ジャワ島の住民やオランダ陸軍

地方部隊に対して、オランダ総督

の名による偽の破壊中止などを

命令し続けたのだ。

第一六軍は、ジャワ島占領後、

島を防衛するために

インドネシアの住民を活用する

ことにしたのだ。

中野学校出身者の丸崎義男大尉

と柳川宗成中尉を中心に、幹部要員

の選抜と教育、部隊の編成と配備、

階級や軍旗など、防衛義勇軍の

設立が準備されたのだ。

ジャワ島全土で防衛義勇軍兵士の

募集をしたところ、約4万人にも

及ぶ人々が応募し、三三個大隊が

編成されたのだ。

これらの防衛義勇軍は、戦後の

インドネシア独立の原動力に

なったのだ

ビルマの戦いは、

一九四一年一二月の開戦から

一九四五年八月の終戦直前まで

イギリス領ビルマ

(現在のミャンマー)

で行われたのだ。

日本軍は、一度はビルマの制圧に

成功するも、その後の連合軍の

反撃によって、

ビルマのほぼ全土を奪回されて

しまうのだ。

ビルマは

「マレー半島の側背から

迫る英米の脅威」

が存在するという理由から、

それを安全にするための

軍事作戦であったのだ。

「マレー半島の側背から

迫る英米の脅威」の中身は、

インド正面からの英軍の脅威の

ほかに

「援蒋ルート」の存在があった

のだ。

大東亜戦争開始の時点で、

日中戦争が始まって既に

四年半近くが経過していたが、

蒋介石の指導する

中華民国国民党軍は、

「援蒋ルート」を通じ、

英米からの物心両面にわたる

支援を受け、非常に粘り強い

戦いを続け、

日本軍は

「二正面作戦(英米に加え

中華民国国民党軍)」という

軍事的には忌避すべき稚拙な

戦いを余儀なくされていたのだ。

そのために、ビルマへの攻略は、

「援蒋ルート」の遮断が二つ目

の重要な狙いであったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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