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豊富だったんじゃ

どうも村田です

参謀本部第八課(謀略担当)は、

神本に目を付け、満州で諜報

を担う甘粕正彦のと連携を取り、

一九三九年七月からは諜報担当

として甘粕機関ハルビン分室で

勤務させ、ソ連から亡命してきた

トルコ系イスラム難民の保護と

動向調査を任せたのだ。

神本はこのポストで諜報について

実地に体験することになるのだ。

大東亜戦争が迫る中、

一九四一年一月下旬の時点では、

参謀本部はマレー半島の実情が

把握できていなかったのだ。

マレー半島で活動できる諜報工作員

を欲しがっていたタイの日本大使館

付陸軍武官の田村浩大佐

(南方各地の諜報活動の最高統括者)

の要望で、神本は昭和通商の嘱託

という肩書で田村の補佐役として

リクルートされたのだ。


田村はさらに諜報員を求めていたが、

現地で盗賊団の頭として有名だった

谷に目をつけたのだ。

神本は田村の命を受けてバンコクに

赴き谷を探した結果、彼がタイ南部

の都市ハジャイの監獄に収監されて

いるという情報をつかんだのだ。

神本は看守長と交渉し、僅か

二五バーツの保釈金で谷を釈放

させたのだ。

神本は、日本軍により英国から

マレーを解放することをポイント

として、

谷に日本軍の諜報活動に協力する

よう説得したが、中々応じなかった

のだ。

谷は

「日本軍が勝てば、英軍にとって

代わるだけではないか。そのことは

満州、朝鮮、中国の例を見てもわかる」

と反論したのだ。

神本はそれでもあきらめずに説得

したのだ。

谷はついに

「俺は日本も日本人も嫌いだが

おれはあんた(神本)が気に入ったから、

あんたに協力しよう」と折れ、

ついにリクルートは成功したのだ。


谷はそれ以降、死ぬまで神本と

行動を共にし、盗賊団を率いて

マレー作戦の諜報・工作活動に挺身

したのだ。

一九四二年一二月、神本は

シンガポールのF機関からビルマ光機関

(対英インド独立工作で、その任務は

F機関から岩畔機関を経て光機関に

受け継がれた)に転属したのだ。

光機関では、ビルマ中部シャン州の

州都タウンジーの州首長

モン・トントンの自宅に定住し、

長男のモン・トンミン以下三〇〇人

のシャン人

(シャン州を中心に居住する民族)

の青年を指導して、雲南省から浸透

してくる中国軍ゲリラ対策を担当した

のだ。

不幸にもその 間マラリアに感染し、

同じくマラリアに感染した

藤原岩市中佐の説得により帰国

することとなったのだ。


一九四四年八月、二人はラングーン

へ南下し、飛行艇でペナンの海軍基地

へと運ばれ、

そこから別々の潜水艦で帰国

することとなったのだ。

それが運命の分かれ目だったのだ。

藤原の潜水艦はシンガポールに寄港し、

病院へと収容されたのだ。

一方、神本の潜水艦は南シナ海へと

進んだが、一九四四年九月三〇日夜、

夜間浮上航行中に米軍機のレーダーに

発見され、撃沈されたのだ。

享年三九歳だったのだ。

神本利男は陸軍中野学校教育の成果を

体現した人物だと確信するのだ。

ハリマオこと谷を説得して諜報任務

に挺身させ、ソ連から亡命した

リュシコフやビルマのシャン族の

青年たちの心をつかむことが出来た

のは「謀略は誠なり」という

中野学校の精神を体現したからでは

ないだろうか。

今村均中将率いる第一六軍は、

約五万五〇〇〇人の兵力で

約八万一〇〇〇人のオランダ軍を

攻めたのだ。

戦場になったのはインドネシア

第一六軍には、特務機関として

編成当初から一一名の中野学校

出身者による『参謀本部別班』

が配属されていたのだ。

アメリカが日本軍の南部仏印進駐

したことへの制裁として石油の

対日禁輸に踏み切ったことが、

開戦の大きなきっかけになったのだ。

「石油の一滴は血の一滴」

と比喩されたように、 日本は

「石油」を絶たれるという絶望感

から開戦に踏み切ったのだ。

それゆえ、日本軍にとっては

アメリカの石油禁輸に対処する

うえで、新たな石油資源の確保が

必須だったのだ。

国内には新潟県に油田があったが、

生産量は平時の国内消費の一割も

満たないのだ。

戦争となれば、平時の三倍から

五倍は必要とされるのだ。

日本軍が北進論から南進論に変更

した理由も、石油資源の確保が

最重要課題だったからであるのだ。

蘭印作戦の主要な目的は、まさに

石油資源の確保だったのだ。

蘭印の石油の一九三九年の年産量は

八〇〇万トンで、当時の日本の

年間需要量の五〇〇万トンを上回って

いたのだ。

石油の他にも、錫(世界第三位)、

ボーキサイト、天然ゴム

(世界第二位)など戦争遂行上

必要な物資も豊富だったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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