どうも村田です
一方のビルマには、強力な
英軍(航空基地を含む)が配備
されており、
日本軍がマレー 作戦さらには
蘭印作戦を行う際、常に
「マレー半島の側背から
迫る英米の脅威」を受ける
ことになるのだ。
タイとビルマはとも作戦正面となる
マレー半島の側背にあるという理由
から、それを安全にするために、
タイ進駐作戦とビルマ作戦が
考慮されたのであるのだ。
ただしタイに対する作戦は初期の
「進駐作戦」だけで、それ以降の
作戦は終戦までの間、すべて
ビルマにおいて行われることに
なるのだ。
南方作戦では、
1本間雅晴中将の
第一四軍がフィリピンを(「M作戦」)、
2山下奉文 【ともゆき】中将の
第二五軍がシンガポールを(「E作戦」)、
3今村均【ひとし】中将の
第一六軍がオランダ領インド
(スマトラ・ジャワなど)を(「H作戦」)、
4堀井富太郎少将の南海支援が
グアムを(「G作戦」)、
5川口清健少将の三五歩兵旅団が
英領ボルネオを(「B作戦」)、
6酒井隆中将の第二三軍が香港を
(「°C作戦」)それぞれ攻略する
ことになったのだ。
日本軍が米軍、英軍(インド人兵を含む)、
オランダ軍を攻撃する一方で、
中野出身者たちが主体となる特務機関は、
日本軍と連携をとりながら諜報、謀略、
工作、宣伝、宣撫【せんぶ】などの
活動を行って作戦全体の進展を図った
のだ。
孫子は
「戦いは、正を以って合し、
奇を以って勝つ」と教えているのだ。
これすなわち
「敵との戦いは正規軍をもって敵の
正規軍と戦い、謀略・工作などの
奇策を用いて敵に勝利する」
と言うことなのだ。
『神本利男とマレーシアのハリマオ」
(土生良樹著、展転社)という本のなかで、
F機関の藤原少佐と参謀本部第八課
(謀略・諜報を担当)
の門松中佐が南方作戦における
現地住民の処遇――占領地行政――
をめぐって以下のような激論を
する場面があるのだ。
藤原:
「わが軍が、南方諸地域の住民を
利用するだけというつもりなら、必ず
手ひどい失敗をするでしょう。
わが軍も彼らが望んでいる独立に協力
しなければ、彼らはわが軍を英米と
同じ圧制者という目で見るようになります。
我々は同じアジア人として、彼らの
独立の願望を支持し、さらに援助する
真摯な態度が重要です。
さらに、もし彼らが、独立の願望に
目覚めていなかければ、彼らに
主体性を持たせるようにするべきです。
しかる後に、我が国に対しても
協力してもらうのが、大東亜共栄圏の
根本理念ではないですか」
門松:
「ふむ、君はまだ若い。そんな青臭い
書生みたいな理想論を言っているが、
現実の戦争は、そんな甘いものじゃない。
君のような書生論を言い、実践して
いたら、わが国は、彼らに利用される
だけになるだろう」
藤原:
「利用されるだけなんてことは、
断じてありません。彼らが独立を達成
すれば、 それがアジアの安寧であり、
同時に、アジアの発展にもなります。
すなわち、日本の為にも有益なこと
であります」
門松:
「君はそれでも帝国陸軍の軍人か。
我が国のことを第一に考えないで、
どうするのか。
わが国あっての、アジア開放であり、
大東亜共栄圏だぞ」
藤原:
「わが国とは関係なくても、いずれ
アジアの諸民族は独立するでしょう。
もし戦争になれば、わが国は、
彼らが独立するための引き金を引く
役目を果たすことになるでしょう」
大東亜戦争開戦を前に日本軍部は
占領地政策について思いを巡らせた
ことだろう。
選択肢としては、門松と藤原が
主張する二つの選択肢があったのだ。
そして、参謀本部と陸軍省は
門松の考え方――
日本のことを第一に考え、
南方諸地域の住民を利用するだけ
――という結論に達したものと
思われるのだ
南方作戦における、特務機関
による謀略・工作の目的は、
1植民地の被支配民の反米英蘭の機運と、
2親日の機運を醸成させることだったのだ。
当然のことだが、反英蘭の機運は
すでに醸成されていたのだ。
長年にわたり英国やオランダから
奴隷のようにこき使われていたの
だから、恨みやつらみの感情は
強かったのだ。
日本軍が侵攻してきた時点で、
植民地の住民たちは英軍や
オランダ軍に非協力で、
逆に反乱を起こしてくれる
可能性すらあったのだ。
それゆえ、二つ目の目的の
「親日機運を醸成して、日本の
戦争遂行に協力してもらうこと」
が中野学校出身者の最重要
ミッションだったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる