どうも村田です
陸軍中野学校創設以前の、
主に日露戦争で活躍した
諜報関係者とその活動を
紹介してきたのだ。
これらの偉大な先駆者たちが
いたからこそ、陸軍中野学校の
目指すべき目標・モデルが確立
できたのだと思うのだ。
中野学校の教育で特に重視された
「謀略は誠なり」
という精神は、元を辿れば、
明石元次郎のロシア工作で示された
のみならず、石光真清(橘中佐の
「信用は求むるものに非ず、
得るものなり」という訓えを実践)
や中村天風と女郎たちとの心温まる
交流からも学ぶことができるのでは
ないだろうか。
諜報員は、工作を仕掛ける相手と親元
(諜報機関・母国)の間で板挟みになる
ことが多いのだ。
次で詳しく見ていきたいが、
大東亜戦争の南方作戦においても、
中野出身者たちはアジアにおける
諜報活動で、
米国、英国、オランダなどから
虐げられている被植民地の人々の
「独立したい(完全独立)」という思いと、
日本政府の
「日本の戦争のために利用する
(軍政統治)」という乖離の間で
相当悩んだはずなのだ。
ときには「誠」を貫けない場面
にも遭遇したに違いないが、
最終的には「誠」を貫いて、
アジア諸国を独立に導いたのだ。
日本陸軍はシベリア出兵において
諜報の重要性を改めて深刻に認識
したのだ。
シベリア出兵は、一九一八年から
一九二二年の間に、
「革命軍によって囚われた
チェコ軍団を救出する」
ことを名目に
日本、英国、米国、フランス、
イタリア、カナダ、中国が
シベリアに共同出兵したのだ。
新生ソ連が掲げる革命思想
君主制や資本主義を打倒するは
世界の国々にとって共通の敵であり、
早めに潰すべきだというのが
本音だったのではないだろうか。
このシベリア出兵は、日清戦争や
日露戦争のように敵と味方が
「一対一」の単純な構図では
なかったのだ。
多国籍連合軍、ロシア革命政権、
赤軍と白軍(コサックを含む)、
ロシア 住民、ポーランド孤児、
革命軍によって囚われたチェコ軍など、
いくつもの勢力が複雑に絡み合った
戦争だったのだ。
誰が味方で誰が敵か見分けるのも
困難で、各勢力の動きを的確に
把握するためには諜報活動は
欠かせなかったのだ。
本来であれば、日本は
陸軍中野学校創設に先立って、
シベリア出兵を教訓として、
「諜報・謀略」の能力・体制を
各段に強化すべきだったのだ。
しかし、日清戦争と日露戦争に勝利
したためか、日本は奢り、
「諜報・謀略」には力を入れなかった
のだ。
日本とは対照的に、ソ連は、
日露戦争での敗戦を教訓に、いち早く
「諜報・謀略」の強化に乗り出し、
世界的な諜報・謀略の機構として
コミンテルンを創設したのは、先にも
触れた通りであるのだ。
日本に陸軍中野学校が創設されたのは、
一九三八年のことだったのだ。
日露戦争での勝利から実に三三年も
経っていたのだ。
中野学校の創設が一五年、いや一〇年
早ければ、日本の歴史は大きく
変わっていたはずなのだ。
次に大東亜戦争における中野卒業生
たちの活躍について見ていきたいのだ。
中野卒業生は大東亜戦争の終始を
通じ全ての戦線・戦域で活躍したのだ。
主として、緒戦となる南方作戦
(陸海軍中央協定で定められた作戦名称は
「 あ号作戦 」)における中野卒業生の
諜報・工作の実績から見ることにするのだ。
大東亜戦争はアジア・太平洋における
アメリカ、イギリス、オランダの
植民地・活動拠点を攻撃・占領し、
アジアに日本主導の新しい秩序
(大東亜共栄圈)をつくり、
それによって日本の自存自衛を
図ろうとするものであったのだ。
大東亜戦争は、大枠として三つの作戦
ハワイ作戦(真珠湾奇襲)、
フィリピン作戦、
マレー作戦
で組み立てられたのだ。
大東亜戦争を遂行するうえで、
自存自衛の態勢をつくるためには
石油資源の確保が不可欠の条件
となるのだ。
日本の手の届くところにある最大の
石油資源はオランダ領のスマトラの
油田地帯であったのだ。
スマトラを攻略するための接近経路
(アクセス)は二つあったのだ。
第一は、日本―フィリ ピンーボルネオ
―ジャワ経由でスマトラに至るルート。
第二は、日本―英領マラヤ―スマトラ
に至るルート。
第一の接近経路上での戦いが
フィリピン作戦であり、第二の
接近経路上での戦いがマレー作戦
であったのだ。
日本から大兵力・兵站を海上輸送
してフィリピン作戦とマレー作戦を
成立させるためには、
アメリカの強力な太平洋艦隊の
作戦能力を一時的にせよ封じる
必要があり、そのためにハワイ作戦
が構想されたのだ。
もちろんシンガポールを基地とする
英国の東洋艦隊の存在は大きな脅威で、
マレー作戦にはスマトラ油田地帯への
通路啓開(英国陸軍の撃破)とともに
シンガポール攻略
(英国 東洋艦隊と基地の撃滅)
という大きな目的・目標も与えられた
のだ。
マレー作戦を成り立たせるために
計画されたのがタイ進駐作戦
(外交努力による)とビルマ作戦で
あるのだ。
タイは、大東亜戦争における
インドシナ半島の重要な作戦基地、
兵站基地、海運中継地点となりうる
要地であったのだ。
タイ王国は、東南アジアの
ほとんどが欧米の植民地支配下に
おかれていた当時、
唯一の独立国であり、
日本の友好国でもあったのだ。
マレー作戦を行うためには、
タイに陸軍を安全に上陸させ、
タイと英領マラヤの国境を越えて
マレーに侵攻するのが望ましい
作戦だったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる