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説明するんじゃ

どうも村田です

米軍は戦史研究者、哲学者、

論理学者などの衆知を結集して、

素人将校の誰にでも手軽に

活用できる

「状況判断」のノウハウを

研究・確立し、それを

マニュアル化したのであるのだ。

現代の自衛隊や米軍も活用している

「状況判断」は、次の5段階からなる

のだ。

この手法に従って、明治政府・

参謀本部の立場から、日露戦争

を戦うための「状況判断」を

簡単に説明するのだ

.任務分析

「任務分析」では、まず自分に

与えられた任務を分析するのだ。

上官から与えられた任務を

徹底的に分析し、作戦全体に

占める自己の地位・役割、

必ず達成しなければいけない

目標(必 成目標)、そして達成

するのが望ましい目標(望成目標)

を明らかにするのだ。

当時の最高司令官である

明治天皇(参謀本部が補佐役)の

立場から参謀本部が「任務分析」

を行うとこうなるのだ。

〈ロシアの東方進出・侵略の動機は、

第一にバッファーゾーンの獲得、

第二は植民地獲得である。

海洋交通に恵まれないロシアは、

唯一可能な陸上ルート(鉄道)を

通じてウラ ル山脈を越え、

シベリアを横断して中国の満州地域、

さらには朝鮮半島を経て日本に食指を

延ばすのは自然と思われる。

ロシアのシベリア鉄道建設こそが

我が国にとっての脅威の根源なのだ。

このようなロシアの極東アジア

進出に対処する上で、日本の戦略は

二つある。

第一は、 日英同盟により西側から

ロシアの東進を牽制してもらう戦略。

もう一つはシベリア鉄道完成前に、

満州に進出しているロシア陸軍と旅順

・ウラジオストク港のロシア太平洋艦隊

を短期間で撃破し、ロシアの東方進出を

断念させるという戦略である。

問題は、

1満州のロシア陸軍と旅順・

ウラジオストクのロシア太平洋艦隊を

短期間で撃 破できるかどうか、

2仮に極東のロシア陸海軍を撃破

できたとしても、欧州のロシア中枢

(ロマノフ王朝)が健在な限りは、

ロシアの満州進出は際限なく継続

されることになる― ―という二点だ。

ロシアの極東進出意欲の根源を断つ

ためには、ロマノフ王朝

(ニコライ 2世の帝政)を

謀略・工作などにより潰すか、痛撃を

与えて撹乱し、極東へ陸海軍を増派する

余裕、すなわち

「ロシア国内における治安維持」

と「満州で日本軍と戦う」という

「二正面作戦」を行う余裕――

を無くすための「手立て」が必要になる〉

.状況(戦場と敵などの状況)の分析

第2段階では、彼我の状況、戦場の

地形と気象、兵站など、戦う上での

前提条件を分析するのだ。

この段階における最重要ポイントは

「我の乗じ得る敵の弱点」

を発見することであるのだ。

つまり、日本が付け入ることが

できるロシアの弱点を明らかに

することなのだ。

満州軍の児玉源太郎総参謀長、

福島安正高級参謀(情報担当)や

田村怡与造参謀本部次長などの

日本陸軍の「頭脳」は、ロシアの

弱点を明確に理解しており、

一九〇二年一月に明石を

フランス公使館付武官に特派する

際には「次の一手=対ロシア工作」

をあらかじめ内示していたはずなのだ。

明石自身もフランス公使館付武官

としてロシア情勢を研究し、

一九〇三年八月にロシア公使館付武官

になるころには、明確にロシアの弱点

を理解していたはずなのだ。

ロシアの弱点は三つあったのだ。

一つ目は、戦場である満州は、

ロシア中枢部の欧州から九〇〇〇キロ

も離れていることなのだ。

兵力と兵站を運ぶためには、単線の

シベリア鉄道しかないのだ。

バイカル湖の南を迂回する

バイカル鉄道は日露戦争開戦

(一九〇四年二月六日)には間に合わず、

未完成であった

(完成は日露戦争開戦から

約七カ月後の九月二五日)。

参謀本部はこのバイカル鉄道が完成

する前に開戦するのが望ましいと

考えたのだ。

二つ目の弱点は、

ロシア内政問題であるのだ。

ツァー(皇帝)の暴政に対する労働者や

農民の怨嗟があるほか、ロシアに

支配・占領された国家や民族による

ロマノフ王朝に対する恨みは

爆発寸前だったのだ。

フィンランド、エストニア、 ラトビア、

リトアニア、ベラルーシ、 ウクライナ、

ポーランド、カフカーズ、中央アジア、

シベリア、外満州などは、

隙を見て独立の機会を窺っていたのだ。

三つ目は、ロシア太平洋艦隊

(旅順艦隊と浦塩艦隊)

とバルト海から回航する

バルチック艦隊

(第二・三太平洋艦隊)

が離隔していることなのだ。

バルト海に所在していた

バルチック艦隊が極東の海域に

駆けつけるためには、喜望峰を

回航する必要があり、数カ月を

要するのだ。

また日英同盟により、世界の海を

支配している英国海軍の脅威にも

晒されていたのだ。

一方、日本の弱点は、長期決戦が

難しいことなのだ。

ロシアに比べて国力の差は歴然で、

戦費の調達も喫緊の課題だったのだ。

そして最大の弱点は、兵站輸送で

あるのだ。

対馬海峡・黄海は、 ロシア海軍の

太平洋艦隊が睨みをきかせているのだ。

バルチック艦隊が無事に極東に

回航してくれば満州軍の海上

兵站戦は切断され、戦争が

成り立たなくなるのだ。

余談だが、バルチック艦隊は

日本海海戦で東郷平八郎提督の

連合艦隊によりほぼ全艦を撃沈

(一部自沈)されたのだ。

バルチック艦隊の中には、

金やダイヤモンド、プラチナなど

戦争のための軍資金を大量に

積んでいた

アドミラル・ナヒーモフ

(装甲フリゲート)がいたが、

日本海軍の魚雷を受けて炎上後、

対馬沖で自沈処分されたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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