どうも村田です
光機関
F機関を引き継いだ岩畔機関は、
五〇〇名を超える大組織となり
一九四三年に光機関と改称された
のだ。
光機関長にはインド独立運動の
大物チャンドラ・ボースと
親交の深い山本敏大佐が
補されたのだ。
なお、ナチス・ドイツに亡命
していたチャンドラ・ボースを
日本に迎えた経緯については
岩畔機関で説明したのだ。
光機関の名の由来は、
ヒンディー語の〝ピカリ〟は
縁起のいい言葉であり、
インドでは 「光は東方より来る」
という伝説があったことから
「光機関」と名づけられたという
のだ。
陸軍が支援していたインド国民軍は
自由インド仮政府軍となり、一部は
ビルマの作戦に従事したのだ。
またインパール作戦の途中、
大本営の遊撃戦重視への作戦方針
変更に伴い、
光機関を南方軍遊撃隊司令部と
改称すると同時に、総務班・情報班・
特務班・軍事班・ 宣伝班・政治班の
6班の他に参謀部・副官部・マライ支部
・タイ支部・サイゴン出張所が
設けられたのだ。
途中機関長が磯田三郎中将に
交代するも、機関自体は終戦まで
軍事顧問団として活動したのだ。
結局インパール作戦は失敗し当時の
日本陸軍とインド国民軍は連合国軍に
降伏したのだ。
光機関には、多数の中野学校出身者が
いたことはたしかであるのだ。
中野学校出身者が作成した資料
『陸軍中野学校中野交友会編』
によれば、
光機関の総人員五〇〇余名のうち、
出身者は一三三名にものぼったと
いうのだ
南機関
鈴木敬司陸軍大佐を中心に創設
された特務機関で、一九四一年から
四二年にかけて、英国の植民地だった
ビルマ(ミャンマー)の独立運動を
支援し、ビルマ独立義勇軍の創設
などに関わったのだ。
現在のミャンマーは、
二〇二一年二月に軍事クーデターが
起こり、国家顧問だった
アウン・サン・スー・チーは
軟禁状態に置かれているのだ。
ミャンマー政府・軍の背後には
中国がいて、英国や米国と対立
している構図ではないかと
言われているが、
そもそもアウン・サ ン・
スー・チーの父親で
「ビルマ建国の父」といわれる
アウン・サン将軍は南機関が
育成した人物であるのだ。
南機関は、英国の植民地だった
ビルマから三〇名の若い青年を
極秘裏に密出国させて、日本に
連れてきたのだ。
この三〇名に対して、台湾や
青島【チンタオ】などで軍事訓練
を行い、 将来のビルマ国軍の中核
となる将校たちを育てたのだ。
彼らのリーダーが、アウン・サン
だったのだ。
彼らはビルマ独立の悲願を叶えるが、
インパール作戦の失敗により、
やむなく英国に寝 返って日本と
戦うことになるのだ。
いずれにせよ、ビルマ独立の種は
南機関から撒かれたのは間違いない
のだ。
そして、南機関の担い手は
中野学校出身者たちだったのだ。
戦後、英国の情報当局は、F機関の
成功について徹底的に調査を行った
のだ。
英国の諜報関係者は、
「情報に疎い日本は、英国のような
歴史のある優れた諜報機関もなく、
戦争開始 直前にようやく諜報員養成所
(陸軍中野学校)を立ち上げ、にわか作り
のF機関による諜報・工作を行ったが、
それがなんと、後のインド独立に
繋がるインド国民軍を創設するなどの
成功を収めることができたのはなぜか?」
という疑問を抱いていたのだ。
その点について クアラルンプールの
刑務所に拘束されていた藤原岩市少佐
を尋問したのだ。
英当局の調査官は藤原に次のように
質問したというのだ。
藤原少佐は、もともとは情報畑の
人間ではなく、参謀本部の情報・
宣伝・防諜業務には短期間しか
携わっていない。
秘密工作や特殊工作についての
訓練も受けていないし、実務経験
もない。
しかも、マレー語も話せない。
事前にマレーやインドの地を踏んだ
こともな ければ、現地関係者との
人脈もなかった。
部下の中野学校出身者も海外勤務の
経験もなけ れば、この種の実務経験
もないほとんど素人に近い若輩将校
だった。
そんなメンバーからなる
『貧弱な組織」で、驚くべき成功を
収めたのはなぜか?〉
それに対して、藤原少佐はこう答えた
というのだ。
〈私(藤原)は、開戦直前に何の用意も
準備もなく、貧弱極まる陣容で困難な
任務に当面 し、途方に暮れる思いで
苦慮した。
英蘭の植民地経営は成功している。
だが、その実態は 現地の住民を無視し、
貧困を放置し、圧迫と搾取じゃないか。
民族の自由と独立への悲願を抑圧
していた。人間愛が乏しく、
思いやりも何もない。
我々は、この弱点を衝き、至誠と
敵味方・民族を超えた純粋な人間愛
と情熱をモットーに民族解放運動を
実践・支援した。これが成功の要因
だと思う〉
英当局は、この藤原少佐の言葉を
聞いて唖然としたというのだ。
これは、中野学校の「誠」 の精神
の為せる業であるのだ。
これこそが、白人・キリスト教文化
という基盤に立つ欧米はもとより
ロシアや中国の諜報と日本の諜報の
違いなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる