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消えてったんじゃ

どうも村田です

山縣有朋は一八九〇年の

第一回帝国議会で「主権線」

と「利益線」という用語を

使って

当時の日本帝国における

国防の考え方を説明したのだ。

その考えを現代語に訳すれば、

次のようになるのだ。

〈そもそも国家の独立・自立の道

には二通りあり、第一には「主権線」

を守ること、

第二には「利益線」を保護すること

である。

この「主権線」とは国の境目(国境)

を言い、「利益線」とはこの主権線

の安全に密接な関係がある地域を

申し上げたのである〉

山縣の発言は、シベリア鉄道

(一八九一年から工事開始)の起工が

間近であるとの情報に基づき、

同鉄道でアジアに進出するロシアの

脅威を念頭に、朝鮮半島は地政学的に

見て日本「利益線」であると主張した

のだろう。

この考え方が江戸幕府の国防戦略を

根本的に変え、明治建軍当初の

海岸要塞に代表される防衛戦略から、

バッファーゾ―ンを日本国外

朝鮮半島に拡大してロシアや清国などの

仮想敵国の脅威に備えるという戦略に

転換したのだ。

このような日本の「利益線」戦略は、

朝鮮半島からやがて、満州へと

拡大されるのだ。


「利益線」を大陸に求めれば、当然

その係争地域の仮想敵の動向を知る

ための諜報が必要となるのだ。

その先駆けとして、萩野末吉

(陸士旧四期、最終階級は陸軍中将。

情報将校の元祖)を、

一八八五年五月から

一八八八年五月の間、

ウラジオストクに留学させ、

シベリアから蒙古までを偵察

させたのだ。

日清戦争

(一八九四年七月二五日から翌年

四月一七日)以降、陸軍参謀本部は

多数の情報(諜報)将校を満蒙地域

(中国の満州および内モンゴル(蒙古)

の地方を指す日本側の呼称)や

ロシア国内に派遣したのだ。

日露戦争勃発後、ロシア国内の

不平党を支援・扇動し、バラバラ

だったベクトルを統合し、

ニコライ二世の足元を撹乱し、

ロシア陸軍の満州増援を阻止し、

ロシアを講和会議の席に引き釣り出し、

有利な形での終戦に導くうえで

「陸軍一〇個師団に相当する

(陸軍参 謀本部参謀次長長岡外史の評)」

活躍をした明石元二郎大佐もその

一人だったのだ。

こうした諜報活動は日露戦争後も

継続され、大東亜戦争前後には

対ソ連専門の特務機関が諜報活動に

当たっていたのだ。

その一つが満州のハルビンに設置

されたハルビン特務機関であるのだ。

ハルビン特務機関は一九一七年の

シベリア出兵の際に創設され、

シベリア各地や満州に駐在していた

工作員や情報(諜報)将校らを統括して、

シベリアにおける正規の陸軍部隊

である浦塩派遣軍の作戦に呼応して

「諜報・工作活動」、

「宣伝工作(情報戦)」、

「日本に味方する白系ロシア人

(ロシア革命後、これに反対して国外に

亡命したロシア人のこと)

勢力とのコンタクト及び教育支援」

などを行ったのだ。

ハルビン特務機関の諜報活動は、

シベリア出兵終了・撤兵後も継続

されたのだ。

大東亜戦争直前の一九四〇年四月、

ハルビン特務機関は関東軍情報部

として改編されたのだ。

帝国陸軍の仮想敵国はロシアと

それを継いだソ連だったのだ。

朝鮮併合(一九一〇年)

と満 州国建国(一九三二年)により、

日本は事実上ソ連と長大な国境を

接することになり、

両国は活発に諜報活動で鎬を

削ることになったのだ。

ハルビン特務機関とそれを引き継いだ

関東軍情報部は満蒙正面における

日本軍の対ソ連諜報の担い手だったのだ。

最盛期には諜報員は四〇〇〇人を

超えたといわれるのだ。


ハルビン特務機関の活動の一端を

紹介するのだ。

特務機関内には対ロシア工作専門の

「白系露人事務局」が置かれ、

ロシア人協力者のリクルートを担った

宣伝・工作や機密情報の入手を行ったのだ。

情報源としてはソ連共産党から

逃れて満州国に亡命してきた

ソ連人のほか満州国のソ連総領事館の

現役電信官をも抱き込んだというのだ。


一方のソ連軍も、ハルビン特務機関の

諜報活動に対しては徹底的に防諜努力を

傾注していたのだ。

諜報・防諜はソ連・軍の得意分野で、

恐らくは関東軍を上回る諜報・防諜活動

を行っていたことだと思うのだ。

そのことは、ゾルゲ事件を見れば

よく理解できるのだ。

ハルビン特務機関・関東軍情報部が

入手した文書などは「文書情報班」が

独自に翻訳・ 分析を行ったのだ。

ただ、こうした情報の中にはソ連軍が

意図的に流した偽情報が含まれていた

というのだ。

また、折角苦労・努力して収集した

情報も、情報軽視・音痴の関東軍

上層幹部は戦略・作戦などに十分に

生かすことが出来なかったといわれる

のだ。

今日、日本政府で情報機能強化が

論ぜられるが、そもそも国家指導部が

情報の重要性を理解し、

それを最大限に活用するセンスが

なければ、「豚に真珠、猫に小判」

の例え通り、何の意味もないのだ。

ハルビン特務機関は小規模ながら

白系ロシア人やモンゴル人による

軍部隊を編成・活用しようとしたのだ。

これは、F機関・岩畔機関・光機関が

インド国民軍を創設・活用し、南機関が

ビルマ独立義勇軍を創設・活用したのと

類似しているのだ。

結果としては、白系ロシア人 や

モンゴル人による軍部隊は、

対ソ作戦にはほとんど役に

立たなかったのだ。

また、インド国民軍やビルマ独立

義勇軍のように、戦後の独立などに

生かされることもなく消えていった

のだ。

ハルビン特務機関からは、

小磯國昭大将・総理(陸士一二期)、

樋口季一郎中将(陸士 二一期、

ユダヤ人難民と北海道を守った)、

秋草俊少将(陸士二六期)など

有数の軍人が輩出したのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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