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寺子屋方式なんじゃ

どうも村田です

教育は寺小屋方式で

行われたのだ。

教官による一方的な講義

ではなく、教官と生徒が

議論を重ねながら学習と

研究を進めていったのだ。

毎日が試行錯誤の連続で、

その中から優秀な人材が

育っていったのは、

幕末の吉田松陰の私塾

「松下村塾」に似ているのだ。

また一期生の一八名は

少人数だったこともあり、

寝食を共にして切磋琢磨に

励んだのだ。

寺小屋方式で寝食を共に

していれば、自然と

運命共同体の精神が

宿ってくるのだ。

毎月一日に行われた

その月に生まれた教官と

生徒の誕生日会も団結を

強める要因になったのだ。

運命共同体としての精神は、

先輩から後輩に受け継がれて

いくのだ。

教育内容は、秘密戦を

戦うために必要な

「諜報」「謀略」「防諜」

「宣伝」が創設時から

教えられたのだ。

後に本土決戦に向けて

「遊撃戦」が加えられたのだ。

また「占領地行政」は

秘密戦ではないが、陸軍省の

要請で教育課程に加えられたのだ。

これら用語の意味は次の通りなのだ。

諜報……相手側の企図や動静を

探ること(スパイ)

謀略……相手側を不利な状態に

貶めるような工作を施すこと

防諜……相手側のスパイ活動を

事前に察知し、摘発・防止すること

宣伝……相手が好むと好まざるとに

かかわらず、一方的に情報を提供

すること(情報操作)

遊撃戦……ゲリラ戦のこと

占領地行政……占領軍がその政府の

命令に基づき支配下に置いた領域

および領民に行う立法・行政・

司法全般に渡る統治活動

宣伝というのは、現在の言葉で

言えば、情報戦なのだ。

大東亜戦争での実例を挙げると

その情報戦は、今村均大将統率の

もと行われた蘭印作戦における

「ラジオ謀略作戦」であるのだ。

この作戦は、中野学校二期生の

太郎良【たろうら】定夫中尉発案に

よるものであったのだ。

インドネシアのジャワ島にある

都市スラバヤでは、ベトナムにある

放送局から強い出力の電波を飛ばして

ジャワ島の弱小の電波を乗っ取って、

偽情報を流したのだ。

ラジオ謀略の狙いは、オランダ軍に

よる重要施設・機材などの破壊や

活用を阻止・妨害することだったのだ。

「〇〇の破壊は、別命ある

まで待ってください」とか

「〇月〇日の自動車徴発令

は取り消します」などと

放送したのだ。

オランダ側は

「先ほどの破壊中止命令は

日本側の偽放送です」などと

躍起になって打ち消したが、

出力の差で日本の謀略放送には

かなわなかったのだ。

これについては中野卒業生の

偉勲として、

「サイゴン放送局からのラジオ

謀略計画」で改めて詳述するのだ

二〇一二年に発見された

第一期生の卒業報告書

『後方勤務要員養成所乙種長期

第一期学生教育報告

(昭和一四年七月)』

(国立公文書館アジア歴史

資料センターに所蔵、

によれば、

予定教育時間一三六一時間に対し、

教育実施時間は一二九〇時間で

あったのだ。

科目は、

①学科として、戦争学、外国事情

及び兵要地誌

(英国、米国、独国、仏国、伊国、

蘇国、支那国、南洋、蒙古)、

外国兵器、外国築城、情報・謀略

・防諜・宣伝勤務、政治学(国体学)、

経済謀略・政策、思想・労働問題、

②外国語として、英語・ロシア語・

支那語、

③武術として、剣術・柔術

➃実務として、防諜補助手段、

防諜技術、暗号、写真技術、

⑤特別講座として、細菌学、薬物学、

心理学、犯罪手口、気象学、交通学

・統計学など

⑥実習として、通信実習、自動車実習、

航空実習、爆破実習、忍術、法医学など

多岐にわたっているのだ。

時には忍術の達人やスリの名人も

その技を実演したというのだ。

武術としては、後に、柔道よりも

一撃必殺の効果が高い植芝流の

合気道が必修科目とされたのだ。

また、謀略器材の研究をしていた

登戸研究所の派遣教官から特殊爆弾や

偽造紙幣の製造法等を学んでいたのだ

カリキュラムの中の

「外国事情」

でリストアップされた国のうち

ソ連と支那は従来からの仮想敵国であり、

イタリアとドイツは枢軸側の同盟国

であるのだ。

また、大東亜戦争が迫る中、

英国、米国、仏国が仮想敵国の

リストに加えられ北方重視から

南洋(東南アジア)方面にも

軍事的な関心が高まっている

ことが窺われるのだ。

なお、『後方勤務要員養成所乙種

長期第一期学生教育報告

(昭和一四年七月)』の中には、

「事情許せば「スペイン」、「トルコ」、

南洋語をも顧慮するの要あり」

と述べているのだ。

この意見具申からか、後には

マレー語が外国語の科目に

追加されたというのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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