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自ずと見えてくるんじゃ

どうも村田です

日本は遅まきながら、

日露戦争における明石大佐の

偉業に倣い、

諜報・謀略を活用す ることが

不可欠であると認識するに

至ったのだ。

スパイとして活動する主な動機は、

M=Money(金銭)、

I=Ideology(イデオロギー)、

C=Compromise & Compulsion

(妥協と脅迫)、

E=Ego(自尊心)であるが、

その頭文字を取って

MICE(マイス)と略称されて

いるのだ。

この中でも命を懸ける価値・原動力は

Ideology(イデオロギー)に基づく

「信念」 であると思うのだ。

人々に「信念」を植え付ける点に

おいて、共産主義イデオロギーは

ユダヤ 教などの宗教と同じくらい

極めて強力で、

国際共産主義運動のためなら

「命も惜しくない」

という思い=信念にさせるのだ。

これは宗教における「殉教」と

同じメンタリティなのだ。

その実例として、ゾルゲのような

人物が登場したのだ。

ゾルゲの諜報組織の一人で、

朝日新聞社の記者でもあった

尾崎秀実【ほつみ】も

国際共産主義運動に命を捧げたのだ。

ソ連、北朝鮮、キューバ、中国などの

独裁国家にとって、共産主義は

諜報や防諜体制を強化のうえで最適な

イデオロギーなのだ


余談だが、ソ連時代の防諜体制に

関して面白い話を聞いたことがあるのだ。

二〇〇五年三月に陸上自衛隊を定年退官し、

同年六月から二年間にわたって

ハーバード大学アジアセンターの

上級客員研究員として、米国を見聞する

機会に恵まれたのだ。

その間にソ連の駐在武官経験のある

アメリカ陸軍の退役大佐と知り合った

のだが、彼はソ連の諜報・防諜につい て

面白い話をしてくれたのだ。

曰く、

「ソ連に行ったら、二四時間、

防諜機関要員から付きまとわれ、

情報活動がほぼ不可能な状態であった。

そこで開き直って、ソ連の

『防諜体制』 について調べることに

したのだ。

街頭に立って道を行き交う人々を

観察するふりをしながら、 自分を

『餌』にして、

ソ連の防諜要員の自分に対する対応

・行動を子細にチェックして、 ソ連の

現場における防諜体制の解明に役立つ

情報を集めることに成功した」

と言っていたのだ。

共産主義国家が持つ、もう一つの

諜報上の強みとして、世界各地に

共産主義者がいるこ とが挙げられるのだ。

どこに行っても、共産主義に

身を捧げる協力者がいるのは

大きな力になるのだ。

同じことはユダヤ人にも言えるのだ。

国を追われて世界中に散らばった

ユダヤ人やそのコミ ュニティは

「ディアスポラ」――

バビロン捕囚後にユダヤ人が異邦人の

土地へと離散した という聖書の記述に由来

――と呼ばれており、米国内に

六〇〇万人もいると言われるのだ。

もちろんユダヤ人は世界各国に散在

しており、イスラエルの諜報機関

「モサド」などが諜報・ 謀略を実行

するときには、

そのディアスポラのユダヤ人たちが

全面的にサポートしてくれるのだ。

前述の通り、中野学校の設立は

遅きに失したのだ。

もし一五年、少なくても一〇年

早ければ、日本は変わっていた

のではないかと思うのだ。

中野学校の設立が遅れた理由は、

大きく二つ考えられるのだ。

一つは、明石元二郎大佐の成功を

活かせず、

「敗者(ソ連)は学び、

勝者(日本)は忘れる」

の通りになったこと。

そしてもう一つの理由は、

日本の情報軽視の体質であるのだ。

明石元二郎大佐は日露戦争の功績が

認められ、一九一四年四月、参謀次長

となるが、

翌年一〇月には熊本の

第六師団長に飛ばされたのだ。

問題なく職責を全うしていたにも

かかわらず、わずか一年余で更迭された

背景には、陸軍内における

「スパイ蔑視」の風潮があった

といわれるのだ。

児玉源太郎

(日露戦争時の満州軍総参謀長)

山縣有朋

(日露戦争時の陸軍参謀総長) は、

そのような風潮があることを

認識しつつも、情報の重要性を

理解していたため、

明石元二郎や福島安正などの

情報畑の人材を積極的に引き立てたのだ。

だが、明石らを警戒する空 気は根強く、

結果的には更迭されたのだ。

明石自身も単独行動が多く、

派閥や組織内政治に長けていなかった

ことも、情報将校が出世しにくかった

原因であったといわれるのだ。

またこのような人事ことが、

情報軽視を助長するという悪循環に

つながった可能性があるのだ。


江戸時代、徳川幕府はお家安泰

のために「武士道」という

武士階級の倫理・道徳規範及び

価値基準の根本をつくり上げたのだ。

「武士道」

は、明文化はされていないが、

「武士たるもの、人の秘密を覗いたり、

情報を盗み取ることを戒めるべきで、

それをやるのは下衆の下衆だ」

というのが通念であるのだ。

要するに、諜報・謀略を企てる行為を

卑劣だと世間に広 め、徳川幕府の

安泰を図ったのだ。

このような経緯で、日本では

スパイや諜報が蔑まれる風潮が

強くなったのではないかと

思われるのだ。


今でも自衛隊の中で情報分野に

行く者は「二流、三流の人材」だと

見られているのだ。

しかし、世界では逆なのだ。

情報は一流の人間が就く仕事だと

いう認識があるのだ。

それだけ見ても、日本がいかに

情報軽視の国、情報に疎い国で

あるかがわかるのだ。

現在の日本は米中覇権争いの

真っ只中にあるわけだが、

大東亜戦争に際し、

陸軍中野学校設立の遅延が国を

誤らせたのと同じように、現下の

日本で情報機能が未整備であることを

深刻に悔やむ日が近い将来やってくるに

違いないのだ。

後世史家が

「あのころの日本国民は

何と呆けていたのか」

と指弾される日が来なければいい

のだが。

そういう視点・問題意識をもって

現在の国家の安全保障の体制を見れば、

今やるべきことは自ずと見えてくるのだ。

新聞やテレビなどのマスメディアは、

政権の足を引っ張ることばかり

注力しているが、

日本の叡智を結集して今為すべき

優先順位の高い課題について国民を

啓蒙し、合意形成を促し、具現・

実行を急がせることが重要なのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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