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皮肉なことになんじゃ

どうも村田です

陸軍中野学校ができた背景には、

日露戦争で活躍した

明石元二郎大佐の功績が大きいのだ。

当時ロシア帝国公使館付陸軍武官

だった明石元二郎大佐は、

明石工作よって、

ロシア皇帝の足元を攪乱し、日本を

勝利に導いたのだ

(日露戦争が開戦すると駐ロシア公使館は

首都ペテルブルクから中立国

スウェーデンの首都ストックホルムに移り、

明石は以後この地を本拠として活動)


詳しくはあとで述べるが、明石は

帝政ロシアの圧政に反抗する勢力

(不平党)を扇動・支援し、結果として

ウラジーミル・レーニンによる

一九〇五年のロシア第一革命にも

寄与したのだ。

日露戦争での成功体験

(諜報・謀略のノウハウ)は、

本来であれば日本で蓄積・活用

されるべきものであったのだ。

しかし、

「敗者は学び、勝者は学ばず」

という言葉通りになるのだ。

一九一七年一一月(ロシア暦一〇月)、

レーニンはケレンスキーの臨時政府を

倒し、レーニンが全権力を握り

ソビエト共和国が誕生したのだ。

その二年後の、一九一九年には

コミンテルン

(共産主義インターナショナル)

を設立したのだ。

コミンテルンの役割は二つあり

一つは、ソ連を防衛すること(防勢)

であり、

二つ目は革命を世界に輸出して、

世界中の国を共産主義国家に

すること(攻勢)であったのだ。

コミンテルンは、この防勢と攻勢の

2つの側面を持った組織だが、

レーニンやスターリンは、

そのためには諜報・謀略が

必要だと考えたのだ。

皮肉なことに、レーニンや

スターリンは、諜報・謀略の

重要性・必要性について、

明石大佐から学んだのだ。

レーニンやスターリンの立場から

見れば、明石工作は以下のように

見え、それゆえ以下のように学び、

そして諜報・謀略の強化を決意

・実行したと思えるのだ。

〈我々が革命を成功させる契機となった

のは日露戦争の敗戦だ。日露戦争中

我々は「不平党」の一派閥として、

明石から資金を貰い、武器調達を支援

してもらった。

我々は、明石 の工作・扇動に乗って

(乗せられて)帝政ロシアの国内を撹乱し、

皇帝の軍隊を満州に投 入できないようにし、

結果として日本の帝政ロシア打倒に

加担した。はっきり言えば、我々は、

まんまと明石にしてやられたのだ。

我々はツァーを打倒し、革命を実現

するために明 石工作に便乗・利用した

ものの、日本・明石にしてやられた

ことは猛省すべきだ。

革命成功後は、我々すみやかに日本の

明石工作に学び、ソ連の諜報・工作や

防諜能力を強化しなければならない。

我々は、諜報・工作において日本に

リベンジしなければならない〉

冷戦終了以前までは、共産主義思想

というイデオロギーは、まるで

結核菌のように、

現在で言えば新型コロナウイルス・

デルタ株のように感染力が極めて

強かったのだ。

国王などの 支配者を排除し、平等の

世界を実現するという理念は、

それまで苦しめられてきた労働者や

農民にとっては桃源郷のような世界の

到来を期待させるものだったのだ。

コミンテルンは、植民地および

発展途上国に共産主義を「輸出」

するために、

早くも一 九二一年四月には

「クートヴェ(東方勤労者共産大学)」

を開校し、共産党幹部の養成を開始した

のだ。

「ソ連共産党の防衛」という

目的のためとはいえ、まことに

迅速な処断だったのだ。

アジア諸国の労働者の中から優秀な

人材を選抜し、事実上のソ連の

スパイ学校「クート ヴェ」に招致し、

ロシア語、コミンテルン史、

ロシア共産党史、世界労働運動史、

マルクス経済学、唯物論哲学、

レーニン主義、軍事学などに加え、

マルクス・レーニンが創った

ソ連の偉大性について徹底的に

叩き込んだのだ。

日本からも選抜された要員が新潟や

博多あたりから上海を経て

ウラジオストクに密航し、

そこからシベリア鉄道で

モスクワのクートヴェに向かったのだ。

日本共産党設立当初の委員長幹部は、

みな密出国してクートヴェで学んだ

連中なのだ


クートヴェの夏休みには、

防衛大学校の「夏季訓練」並みの

野営訓練がモスクワ郊外で行われた

のだ。

草色の軍服を着てゲートル

(すねに巻きつける布や革で

できた衣服)を巻き、

銃や実弾も与えられたのだ。

行軍や銃の操作、実弾射撃、

地図作成・判読、軍用電話・有線の

敷設などの通信技術、手榴弾投擲

【とうてき】、毒ガスの放射訓練

などを行ったのだ。

この野営訓練は、明らかに

世界各国で軍事革命を起こす

目的を持っている証拠なのだ。

日本共産党の創始者たちは、

クートヴェで、日本で軍事革命を

起こすための準備をしていたのだ。

一九二二年に日本共産党が旗揚げ

したが、それは完全なソ連の傀儡

【かいらい】だったと言っても

過言ではないのだ。

今日、同じように、北朝鮮が

朝鮮総連を通じて似たような教育や

訓練を行っているのではないか、と

疑念を持っているのだ。

中国では、一九二七年から

一九三七年にかけて、共産主義思想に

影響を受けた毛沢東が率いる

中国共産党の八路軍・新四軍

(中国人民解放軍の前身)

と蒋介石が率いる中国国民党の

国民革命軍による

第一次国共内戦が繰り広げられたのだ。

一〇年にも及ぶ内戦においても、

諜報・謀略が大きな成果を生み、

その必要性と重要性が認識されていったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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