どうも村田です
「歴史戦」という名の
闘いに終わりはない
そう思っているのだ
日韓の歴史にお互い不幸な
ことがあったことを認めるが、
その歴史過程が、ただ加害者
と被害者の関係であった
という二分法はとらないのだ。
彼我の先人の歴史をそんな
単純な話に括ってはいけない
のだ
韓国の未来に対し現実的な
責任を負おうとした、今日
韓国内で「親日派」と糾弾
される彼らの先人のためにも
ならないのだ。
歴史的な経緯を踏まえた
うえでの韓国との和解は
可能かどうか。
あるいは和解を求め得る
相手かどうか。
日本の国家としての
根本的な姿勢は、まず
歴史的な事実はどうであったか、
すべての議論はそれに基づく
という原則を貫くことなのだ
歴史的な事実を棚上げして
韓国の被害者感情に一方的に
寄り添うことは、
我が先人の名誉のためにも
してはならないのだ。
そしてそれが問題解決に
ならなかったことは、
これまで何度も韓国から
味わわされてきた苦汁に
よって明らかなのだ
この合意で懸念せざるを得ない
点はいくつかあるが、日本政府が
「問題の最終的かつ
不可逆的な解決」
を担保することができたと
強調しても、
それが共同記者発表という
形にとどまり、共同文書化
できなかったことは詰めが
不十分だったと言わざるを
得ないのだ。
「口約束」はこれまでに何度も
交わし、悉く韓国側に反故に
されて来たのだ。
日韓国交正常化のため
昭和40年(1965)に
日韓基本条約及び日韓請求権・
経済協力協定が結ばれたのだ。
その請求権協定には
「完全かつ最終的に解決された
こととなることを確認する」
との文言が明記されている
にもかかわらず、
今日に至っていることを
忘れてはならないのだ
しかも、この協定には、
締約日以前に生じた事由に
基づくものに関しては、
いかなる主張もすることが
できないものとする旨の
一文もあるのだ
「問題の最終的かつ
不可逆的な解決」は、
昭和40年になされていた
はずなのだ
さらに言えば、歴代の
韓国大統領は日韓の歴史問題
について何を語ってきたか。
全斗煥大統領(任期1980~88年)
はこう語ったのだ。
「我々は国を失った民族の
恥辱をめぐり、日本の帝国主義
を責めるべきではなく、
当時の情勢、国内的な団結、
国力の弱さなど、我々自らの
責任を厳しく自責する姿勢が
必要である」
(1981年8月15日の光復節
記念式典の演説)
盧泰愚大統領(任期1988~93年)
はこう語ったのだ
「今日、われわれは国家を守る
ことのできなかった自らを反省
するのみであり、過去を振り返って
だれかをとがめたり、
恨んだりしようとは思いません。
私がみなさまに申し上げたいのは、
両国民の真実に基づく理解であり、
それを土台として明るい未来を
開くということであります」
(1995年来日時の国会演説)
さらに
金大中大統領(任期1998~2003年)
は、1998年の日韓共同宣言を受けて、
「韓国が今後、外交問題として
過去を問うことはない。
謝罪は一度でいい」
と語ったのだ
こうした韓国大統領の言葉を、
我々は信じてきたわけだが…、
その結果はどうだったか。
問題解決のゴールポストは、常に
彼らによってずらされてきたのだ。
それを常に指嗾し続けたのが、
朝日新聞をはじめとする
日本国内の「反日メディア」で、
この点では日韓双方に責任が
あるのだ
安倍元首相はこの合意について
こう語ったとされるのだ
「韓国外相がテレビカメラの
前で不可逆的と述べ、それを
米国が評価するというプロセス
を踏んだ。
今まで韓国が動かしてきた
ゴールポストを固定化していく
ということだ」
「ここまでやった上で約束を
破ったら、韓国は国際社会の
一員として終わる」
(平成27年12月30日付産経新聞)。
さらに、
「今後、(韓国との関係で)
この問題について一切、言わない。
次の日韓首脳会談でももう触れない。
そのことは電話会談でも言って
おいた。昨日をもってすべて
終わりだ。もう謝罪もしない」
(同)と。
安倍元首相は戦略的に
いくつかの布石を打った
うえで今回の交渉を行ったと
考えているのだ
しかし、日韓間における
慰安婦問題の
「最終的・不可逆的解決を確認」する
これを実効あらしめるのは、
ひとえに今後の日本国民の
毅然とした姿勢と、
「事実」を粘り強く発信していく
根気にかかっているのだ
日韓二国間の問題にとどまらず、
世界に拡散してしまった
慰安婦問題の誤解を解き、
父祖の冤罪を晴らして、
未来の日本人の可能性を
守るための闘いを諦めては
ならないのだ
決意するのは、
「けっして諦めるな、
そして油断するな」
ということなのだ
慰安婦問題をめぐる
日韓合意について
書いたが
千田夏光の
『従軍慰安婦』
に改めて目を通したのだ。
同書は昭和48(1973)年に
双葉社から刊行され、
昭和59(1984)年、
講談社文庫に収められたのだ
その文庫版のまえがきで、
千田氏は支那事変、
大東亜戦争を日本の侵略戦争と
断じたうえで、こう書いてるのだ
侵略戦争に従軍させられた
将兵は道義心、倫理観を喪失し、
〈道義心と倫理観の喪失した
とき略奪行為は戦場の必然〉
となる。
〈戦場における兵隊はなんでも
かんでも殺さねばならなかった。
(略)
侵略軍にたいしては女子供も
撃ってくる、撃ってこない
までも後方にいる味方に通報
するから、これも殺害の対象に
なった。
(略)三日この戦場体験を
したら半狂人である〉
〈南京攻略戦で半狂人と化した
従軍将兵をしずめるための
“鎮静剤”として軍が案出した
のが本稿のテーマである
前代未聞の“従軍慰安婦”
だった…。(略)〉
千田氏は戦前の日本は
侵略戦争をし、侵略戦争で
あるがゆえに従軍した
将兵は
道義心、倫理観を喪失して
「半狂人」となり、それを
しずめるために従軍慰安婦が
必要になった、と述べるのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる