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もうかるからなんじゃ

どうも村田です

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そんな中で発生したのが

三島由紀夫の自決の事件

だったのだ

彼はやはり、ものすごく

優れた人だったから

メディアに左右され

なかったわけなのだ

物事の本質を常に

見ていたのだろう

ああいう学生運動がどんどん

できてきて、日本のいわゆる

保守といわれる政権もどんどん

アメリカの言いなりなっていく、

それを見て耐えられなかった

から決起したわけなのだ

この三島の行動は当時から、

おそらく今日に至るまで

大半は基本的には単なる

狂気の沙汰としか取られて

いないのだ

人間、理解できない行動を

する人がいると、これは

ひたすら狂気なのだ

でも彼の行動は、はたして

狂気だったのだろうかと

思うのだ

彼の行動を戦前に日本人が

やれば、おそらく誰も狂気

なんて思わなかったはず

なのだ

でも30年時代が違ってしまうと、

もう狂気なのだ

それは、つまり昭和40年代の

段階で日本の社会がそこまで

アメリカ化していたということ

だと思うのだ。

それが、そこからさらに40年、

50年と時間がたった今日、

どうなってるのかということ

なのだ

そしてナベツネの巨人軍では

ないが、北朝鮮は永遠に不滅です、

ということを言いたいところが

あるのだ

第3次アーミテージレポート、

親日派、知日派のアーミテージ

なのだ

この親日派、知日派というもの

の定義を、いつか聞いてみたい

と思うのだ

何をもって親日というのか、

何をもって、知日はあるかも

しれないが、知日はおそらく

あるだろう

そういえばキッシンジャー

も知日なのだ

日本は部族的な根性、視野しか

持っていないと言われるのだ

残念ながらわれわれは、

異論のある方もいるかも

しれないが、

こういうものの社会というのは、

特に戦後の日本は、物事の背景

は全然見えていなかったわけ

なのだ

江戸時代の日本であれば、

まだオランダと交易して、

いろいろ海外の情報を入れて

いたのだ。

新井白石が書いた西洋何とか

という本を読むと

イタリア人の宣教師と

新井白石のやりとりを読んで

いると、非常に

インテレクチュアルな

レベルの高いやりとりを

しているのだ

やはりそれだけ新井白石は

優れた人だったのだなと

思うのだが、

当時と比べても、

もしかしたら今のわれわれ、

戦後の日本人の方が

視野狭窄なのかもしれない

と思うのだ

そういう日本人はメディアを

コントロールしている側から

したらそうなのだ

そうなると知日派と

言われている人はそういう

日本人の、戦後の日本人の

痛いところがよく分かって

いるという意味では知日かも

しれないのだ

ただ親日派かどうかは別で

アーミテージレポートは、

北朝鮮との核協議が行き詰まる中、

戦略環境をつくり直すために

人権問題に焦点を合わせましょう

と言うのだ

イランに対してもあれだけ

やってきて、それで、本当に

イスラエルを使って空襲しよう

まで言っていたのに、

北朝鮮になると途端に

甘くなってしまうのだ

解決策としては人権の概念を

食糧確保、災害救助、公衆衛生

うんぬんまで広げて

日、米、韓が包括的な解決に

乗り出さなければいけないという、

よく分からないような話を

しているわけなのだ

相手は核を作って

ミサイルをボンボン打って

いるのだ

そのミサイル技術がどこから

来たのか、核技術がどこから、

誰が仕込んだのかは置いて

おいても非常にこういう

甘いことしか言わないのだ

北朝鮮に触りたくないのだ

日本の軍事評論家の方に

「何で北朝鮮に攻撃しないんですか」

と聞くと

「北朝鮮は高い山もあって

深い谷もあって、そこに

歩兵が入っていくと大変な

ことになるのだ」

なんてしたり顔で言うのだ

ではなぜ、イラクでうまく

いったのかと、アフガンで

うまくいったのかとなるのだ

アフガンは高い山もたくさん

あるし大変な所だが、

アメリカは行ったではないか。

イラクはあんなにだだっ広い

砂漠だが行けると思ったはず

なのに、アメリカはいまだに

ずっとてこずっていたのだ。

全部ではないかもしれないが、

日本の軍事評論家といわれる

人たちは非常にうさん臭いな

というか、

ちょっとそれっぽいことを

言っていれば飯が食える

のだなと思うのだ

つまり東アジアの戦略的な

緊張を緩和するように

見せかけつつ、

その構造を温存したいのでは

ないかというふうに思って

しまうのだ

そして、これは2000年の始め

ぐらいだと思うが、北朝鮮で

最初の外資銀行を作ったのは

実はHSBC、香港上海

バンキングコーポレーション

のイギリス人男性なのだ

この方は朝鮮語と北京語を

ベラベラにしゃべるという方

だそうで、エジンバラ大学の

出身なのだ

非常に頭のいい方で、その方が

作った会社が実は北朝鮮の

フロント企業として、

北朝鮮船の兵器や核開発の

プログラムの販売を行っていた

ということが昨年イギリスの

『ガーディアン紙』が報じたのだ。

本人は

「俺はそんなことは知りませんよ」

と言ってるが、

それで何で中国とか、どこか

違うソウルとかでビジネスを

しないのだ、

何で北朝鮮で住んでいるのだ、

という感じなのだ

95年からこの方は20何年も

北朝鮮に住んでいるのだ

何でか。

そちらの方がエキサイティング

だからみたいな話をしているのだが、

当然それは何かのパイプがあるはず

なのだ

もしくはエキサイティングな

だけで銀行家が仕事をしていたら

銀行はできないのだ。

投資失敗で大変なことに

なるのだ

エキサイティングなのではなく、

もうかるからなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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