どうも村田です
ソ連製の兵器の多くが、
アメリカ資本が建設した
工場やアメリカの技術で
まかなわれてたという
ことなのだ
今、北朝鮮がミサイルを
あれだけバンバン打って
いるのだ
一発打つのにすごい金が
かかるはずだが、花火
みたいによく打つなと
思うのだ
あのミサイル技術の多くは
日本の部品とか技術ではないか
というふうに言われている、
そういう話もあるそうなのだ
実はこの前、記憶が定かでは
ないのだが、京都大学とか
いろんな大学の出身の日本の
核技術者、
核関係の研究者の方が、何か
政府による渡航規制がかかった
というニュースを読んだのだ
ものすごく優秀な日本の
国立大学で研究をした方の
多くが在日の方であると、
しかも北系の方であるそうなのだ
そうすると日本の技術が、
みんなあちらに行って
しまっているのではないか
という懸念も当然あるのだ
日本にはそれを止める法律が
ないわけだから、今ようやく
それを止めようとしている
みたいだが、そういうことが
あるのだ
気がつけばわれわれも
一生懸命アメリカからPAC3
というミサイルを買って、
それで韓国も導入を決めたのだ。
今回ひっくり返すかもしれないが
サードミサイルも買って
一生懸命防衛した結果、
そのミサイルがあまり当たらなくて、
10発撃たれたうちの5発が東京、
大阪に着弾してしまって
われわれがケロイドになって
しまったとするのだ
そしてある部品を拾ってみたら
メイドインジャパンと書いてあった、
ということがあるかもしれないのだ
それはわれわれ一般の人間の
感情からしたら許せないこと
なのだが、ベトナム戦争、
朝鮮戦争で死んだ、
もしくは傷ついた多くの
アメリカ兵たちは実は、
自分の国の資本が作り出した
武器で、もしくは装備で
命を落としてしまった
ということなのだ
アメリカの憲法において
反逆、treasonというのは
国家の敵に支援をする行為、
これを反逆罪というそうだが、
まさにこれは国家の敵と
しているソ連
これに対して支援をしている
行為で、しかも実際に支援
したものが向こうで刃と
なってこちらに向かってきて
実際にアメリカンボーイズ
たちを傷つけているのであれば、
これは反逆罪ではないのか、
ということなのだ
でもこんなことを問う人は
いない、いないのだ
これは本当にグロムイコさんの、
ソ連の外相の自伝に出てくる
そうなのだが、
レーニンが死ぬときに何か
カレンダーが病室に掛かって
いたそうで
そこに羊か何かの写真が
あったそうだが、あれを
指して「自分も同じだ」と、
「私も羊だ」と言ったそうなのだ
つまり
「私も使われていた人間なのだ」
というようなことを言った
という話があるそうなのだ
悪いといわれていた男、
スターリンだが、、毛沢東も
そうだが
1944年の段階で中国共産党の
延安に対して、アメリカ陸軍の
本部隊が訪問しているのだ
半分通訳というか、それを
務めていたのが日系人の軍曹
であり、彼は後にアメリカで
逮捕されているが、
どうやらアメリカ共産党の
人間だったのではないか
といわれているのだ
現地で野坂参三と会って非常に
交流をし、野坂参三の
アイディアに非常に共感した
と言われているのだ
だから昭和19年の段階で
アメリカ陸軍の舞台が延安まで
入って、
中国共産党とヒソヒソ話を
していたというのが今記録に
残っているのだ
もうつい最近までおそらく
政治家のほとんどの方も
そんなことは知らないだろうし、
当時やっていた政治家も、
それから指導者たちも
知らなかったと思うのだ
でもこれが、おそらく
この世の本質なのだと
思うのだ
お金がある、すべて詰まる
ところはもうけのためなのだ
しかもビッグビジネスなのだ
われわれが言っているような
何百億何千億の話ではない、
何兆円以上の話なのだ
継続的に何十年もかけてやる
ビッグビジネスの設計図が
多分描かれているのだと
思うのだ
それで日本の戦後、
分断統治の話なのだ
これはまさに日本の戦後も
分断統治だというふうに
思うのだが、
日本もまさに同じような
状況にあったのだと思うのだ
中学生のときに非常に
左の方が強かったところ
であるのだ
おそらく中学校の卒業式
だったと思うが、学校の先生、
教頭先生か校長先生と、
それから日教組の先生たちが
ものすごいけんかをしたのだ。
卒業式に日の丸を掲げなさい
という指導か何かがあった
そうなのだが、
ものすごく怒って「許さん」
ということになり、それで
つかみ合いのけんかか何かを
したようなのだ
それで結局は妥協案として、
卒業式に日の丸を掲げたのだ。
どこで掲げたかというと、
屋上の上の誰も見えない
ところに掲げたそうなのだ
そういう話があり
その先生たちは共産党や
社会党で、本当に学校の
先生の車の中を覗くと赤旗が
積んであったりするわけなのだ
当時、おじがバリバリの
共産党員だったから毎日、
顔を合わせるたびにおじと
言い合いをしていたのだ
「革命だ、革命だ」
なんていい年こいて言うから
冗談じゃないと思って言って
いたのだ。
今そのおじは、実は維新の党に
鞍替えをしてしまったという
ことなのだ
そのぐらい多くの人たちが
当時は左に憧れたというか、
日本人の思想というのは
その程度のものなのだろう
とは思うのだ
中には非常に凝り固まった人も
いたそうで、結局中学校のときに
先生がこう言ったのだ
運動会の練習をしているときに
先生が竹刀を持って、
「おい、そこ、まっすぐしろ」
とか言うわけなのだ
その方はすごい左なのだ
それで
「先生、これは北朝鮮式ですか」
って言ったのだ
軍国主義のことをあまりに
嫌う先生で、日本が悪い悪い
と言ってたのだ
でもその方は、あまりにも
日本の軍曹みたいなので
そこで
「先生、これは北朝鮮式ですか」
と言ったら怒られたということが
あったのだ
中学生当時、自分は保守的で
あるべきだと思っていたし、
保守的でありたいと思ってたのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる