どうも村田です
分断して統治するのは
どういうことなのか。
これはおそらく政策
としてやろうと、
実際に言葉にして
やったのは、
イギリスの政治家、
歴史家でもあった、
詩人でもあった、
トーマス・マコーリー
という人なのだ。
この人はインドの植民地
政府に勤務したことがあり
インドの高等教育における
インド古典文学研究を
全部追放して、
授業や研究をすべて英語で
行うことを主導したのだ。
どこかで聞いたことが
あるのだ
英語で全部授業をやろう
ではないかと言って、
やっている学校があるや
ないやと聞くし、
明治のころは
「フランス語を国語に
してしまおう」と、
戦後も
「英語を国語にして
しまおう、英語じゃない
から日本は負けたのだ」
みたいな話もあったのだ
最近も小学校から英語を
やらせて、あるところの
小学校、中学校は算数も
全部英語でやるとか
よく分からないことを
やっているが、この結果
非常に成功したのだ
これはなぜか。
この目的はインド人を
教育することではなく、
インド人をよりインド人
たらしめるわけではなくて、
より効率的に支配するために、
インド人の血と肌を持ちながら、
イギリス人の思考や意見、
知性、モラルを持つ人間を
作らなければならない
ということなのだ
これは、結局詰まるところ、
イギリス人は自分たちで
いちいち教育をするのが
面倒くさいわけなのだ
だからそういうふうに、
自分たちのことを語って
くれる、しかも
インド人の顔をしたやつを
どんどんと育てていって、
それで自分は方針を伝えるだけ、
汗かくのはお前らだよ
という人間を、ロボットを
作りましょうと、
いわゆる牧羊犬を作ろう
ということなのだと
思うのだ
これは土着文化を消滅させる
ためのことになるのだ。
今日本でも大河ドラマを
見ていると、最近全く
見ないのだが、
昔の大河ドラマと比べて
非常に言葉が現代風に
なっているのだ
現代ふうになっていて、
難しい言葉は使わなく
なったし、すぐに説明とか
出るようになったのだ。
何でも頭を動かさなくても
済むわけなのだ
それというのは、日本人が
持っていた歴史とか昔の
感性とか、それをどんどん
失っていくのだ
一方横文字というか、
カタカナ文字が沢山出てきて、
それを一生懸命みんな覚える
のだが、昔のことは忘れて
いってしまうのだ
昔、どこかの金融機関の
コマーシャルで、
トータルソリューションとか、
コンペタンスとか、いろいろ
出てきたのがあったのだ
意味がよく分からなくて、
何なんだろうと思ったら、
トータルにソリューション
します、
というだけの話だったのだが、
結局そういうのは別に
「お客さまのお役に立ちます」
でいいわけなのだ
でもそれを
トータルソリューション
と言うと、かっこ良く
聞こえてしまうのだ
すると、この銀行は何か
やってくれるのではないか
と思うわけなのだ
別に大したことはない
と思うのだが、
そういうものが、
今日もマコーリー主義
というのは形を変えて
生きているのだ
今、日本もまさに
マコーリー主義によって、
われわれがどんどん
土着のものというか、
本来の感性を失って
いっているのではないか
と感じるのだ
その中で、
マコーリー主義の先で
一生懸命踊るアイドルたちが
いるのだ
これが
アウン・サン・スー・チー
女史、
パキスタンのブットー首相
とか、最近でいうと
マララさんとか、
そういうのはまさに
マコーリー主義のアイドル
なのだ
欧米のこういう支配層
というのは、手を変え、
品を変え、
いろんな芸能事務所みたいに
いろんなアイドルをどんどん
入れてくるわけなのだ
われわれはそれで
ノーベル賞をとったとか
とらないとか大騒ぎをして、
「彼女は美人だ、かわいい、
そんな人たちが現地の
イスラムの男どもに抑圧
されてるのは許せない」
みたいな、
「軍事政権に抑圧されてる
のは許せない」
みたいな話になり、
本質を見ないまま、
どんどん応援団に
なってしまうのだ
これがまさに
マコーリー主義の本質
であるのだ
われわれが今何を
失おうとしているのかを、
完全にけむに巻いてしまい、
どんどんそちらの方向に
向かっていくということ
なのだ
なぜ最近日本語の難しい
言葉が何でもどんどん
平仮名表記になってきて、
漢字もなるべく平仮名、
手紙でも何でも、メールでも
平仮名で、難しい漢字を、
大して難しくなくても
平仮名が多くなってるのか
と思っているのだ
もしかしたらこれは、
日本人自身が面倒くさく
なってるのかもしれないが、
やはり英語を話す人にとって、
日本語とアラビア語というのは
世界で一番難しい言葉だそうで
日本語というのは、彼らに
とって暗号と一緒なのだ
それをいかにしてやわらげて
いくか、骨抜きにしていくか
という意思がどこかで働いて
いるのかなと思ってしまうのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる