どうも村田です
マレーシアの
マハティールあたりが
「日本はアジアの大国
なんだから、もっと
自信を持ってアジアの
中でリーダーシップを
取ったらいいではないか」
ということを言ったが、
これに通ずるところが
あって、
同時にまたこれはその後の
大東亜戦争の理念の1つに
なるのだが、
「世界というものは
ヨーロッパやアメリカだけ
のものじゃないんだ。
アジアというもの、
その中の中心である
リーダーとして日本が
引っ張っていかなくちゃ
いけないんだ。
そうすることによって、
世界の平和というものも
維持されていくのではないか」
という考え方で
ある意味で非常に現代
にも通じるところがあって、
彼は戦後もこういうことを
随分あちらこちらで思って
講演で話しているから、
そういう意味では非常に
先駆的な内容のものである
ということは言えると
思うのだ
「そのための覚悟」、
日本はアジアの先導者に
ならなくてはいけないと
言っているのだが
ただならねばいけない
だけではないから、では
どうしたらいいのか、
その覚悟というものを
第9で述べているのだ
その覚悟というものを
書いているのだ
少し長いが、
「現に満州国承認の一事に
ついてすら、連盟はもとより、
英米仏等、国際政局上に
おいて国家的優越感を有し、
有識たりし国々の現存と
功利的打算に動く彼らの
策動は、
帝国の施策と必ずしも
合致せざるのみならず」
要するに満州国をつくった
日本の理念というものは、
アメリカやイギリスや
フランスの、あるいは
そういった国々を中心と
した世界のいろいろな
考え方とは合わない
ということなのだ
「あるいは特にその前途を
雍塞(ようそく)し」、
ふさぎ止めてしまって、
「雍塞(ようそく)せんと
するや形勢あり」。
しかも満州国をつぶそうと
している、そういう傾向もある。
「しかも勢いの急するところ、
国家の重大決意の断行をよそしむ」、
「そういうことをしていると
とんでもないことになるかも
しれないよ。もちろん戦争に
発展する可能性があるよ」
ということを暗に言っているのだ
さらに、
「皇国の安泰を目標とする
満州の実質的経略に関しては、
人的に財的に今後なお多大の
犠牲を払わざるべからす。
帝国現代人、心の全般的動向に
顧み、これが遂行には更に更に
絶大の努力を要するものあり。
これら内外の障害を突破し、
ことをして巧妙な志願に導く唯一、
絶対の根本は諸般の障害を覚悟し
予想しつつ、不断の国民的業を
継続することこれなり」
言っていることは
大変禅問答的で難しいのだが、
「日本人としてはこれらの
ことを自覚して、不断の国民的業、
怠りなく、絶え間なく国民的業を
継続していかなくてはならないんだ」
と言っているのだ
この国民的業の中身はあまり
書いてないのだが、それは
多分一番最初の方に出てきた、
その前に出てきた
皇猷(こうゆう)を扶翼する、
要するに、天皇を中心とした
国家体制というものに協力して
いく、その一員としての自覚を
持っていくということになるの
だろうというふうに思うのだ
そして、第10として日本人の
使命を述べているのだ
「アジアの平和を保ち、
アジア民族の安寧を保つ
ためには、そのアジアの
陣頭に立っていくのは
日本としては当然、
公然と仁愛をもって終始
せられる皇室を仰いで、
天上無窮にどこまでも行く。
もしその間に障害を加える
ものがあれば、何としても
押しのけていくという精神
なるところをヨーロッパと
アメリカに知らしめることは
今日、満州問題に対する
第一の魂でなくてはならない」
満州問題に仮託しているが、
「アジアの平和を保って
アジア民族の安寧を平和と安寧
を保つためには、その陣頭に
立つ日本としては天皇を中心
として、
それを阻害する邪魔するもの
に対してはこれを押しのけて
いくのだ。その精神を
持たなくてはいけないのだ。
そういう精神を
ヨーロッパやアメリカに
知らしめることがとても大事で、
これが満州問題の解決の1つだ」
と言っているのだ
これはもうまさに満州問題を
契機にして、戦争になるかも
しれない、あるいはそういう
ことになっても
戦うだけの気力というものを
持っていなくてはいけないと
いうことを、彼は暗に言って
いるのであろう、
暗にというよりはっきり
言っているのかもしれないのだ
というところが、彼が言っている、
この本で『日本国民に告ぐ』
と言っている本なのだ
付録の部分で、
これは昭和7年に東京の
日比谷公会堂で行われた
講演の速記録なのだが
この時に面白いことに、彼は
関東大震災で「佐久間町の奮闘」
というものを日本魂の発露と
してたたえているのだ
こう書いているのだ
『自分だけが最後の日本人
として働いてみよう』と思って、
全ての財産も何も置いて
1人出てきて、
『さあどこだ』と言って
立ち上がったのであります。
これは関東大震災の時なのだ
「それが1人立ち、2人立ち、
3人立ち、4人と集まって
いたのが佐久間町とか、その他
2~3の燃え残ったところである。
『さあ、火を消すんだ』
と言って火を消して、とうとう
いまだに現存している。
財産も残れば、家も家族も残り、
今日は名誉も残り、当時の手本に
なっているのです」。
これは、実は佐久間町の
物語というのは、今では
あまり知られていないのだが、
関東大震災の後、大変有名な
話になったのだ。
関東大震災ではもう今の
千代田区、中央区、文京区、
台東区、墨田区、江東区、
ほとんど焼け野原になったのだ
しかし、佐久間町という、
今ちょうど秋葉原から東北の
一帯だが、そこの一帯は完全
に焼け残ったのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる