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大事にせにゃいけんのじゃ

どうも村田です

自分の妹が身売りに

出される。もう親たちも

まともに食えない。

そういう中で自分は

兵隊に取られる。

もう誰も農作業ができない。

畑仕事ができない

というような状況で、

それを将校たちは見て、

「こんな日本でもって、

こいつらに『死ね』と

言って戦争はできるのか。

そんなことよりも国家

白紙運動をやって、

そして新しい日本を

つくっていかなくちゃ

いけないんじゃないか。

政党政治もおかしい。

財閥もおかしい。

こういう者たちが

天皇陛下の御稜威(みいつ)」、

いわゆる天皇の光り輝く

ご意向ということだが、

「そういうものを遮っている

のではないか」。

だから、軍閥もそうだが、

「財閥、政党、こういう

者たちを排除しないと

本当の正しい日本は

ならないんじゃないか」

というふうな考え方、

これがいわゆる昭和維新の

考え方なのだ

この昭和維新の考え方に

向かって進まなければ

いけないということで、

二・二六事件が起こった

のだが、そういうような

騒然たる時代であったのだ

同時に、そういう意味では

軍隊という、当時の陸軍、

海軍もそうだが、

海軍が五・一五事件を

起こしたのだが、

陸軍も海軍も

「国民のことを思い、国家の

ことを思うと、今のこの日本

の政治の状況はどうなんだ」

ということで、

あまりのふがいなさに

切歯扼腕(せっしやくわん)

していたという時代でも

あったのだ

この本の序というのは、

荒木貞夫大将が書いた

のではなくて、

その関係者は書いた

のだと思うが、

この序というところで

こういう文章があるのだ

「挙国一致、皇国日本の

発展を図り、もって

昭和維新の実を挙げるに

至らんことを切望に耐え

ざる次第である」、

要するに、

「日本の国はもう政党同士

の闘いとか、財閥が自分の

利益のために運動をする

とかいうことではなくて、

挙国一致して、みんな国を

挙げて、そして天皇を中心

とした日本というものを

発展し、

今言ったような昭和維新

の実を挙げていかないと

とてもではないけれども

よその国と戦えないぞ」

と第一次世界大戦以来の

1つの危機感というものが

ここに結実してきたのだ

そのためにこの発行人

であるこの2人、

櫻井さんと澁井さんと

書いてあるが、

この2人が荒木大将の

本を出したということを

ここの序で言っている

わけなのだ

第1は上海事変で

ちょうどこの本が

書かれているころ、

この本が出された前の年

だが、昭和7年の第一次

上海事変で爆弾三勇士

というのが出るのだが、

まずはその爆弾三勇士

について荒木大将は

触れているのだ

「廟行鎮の三勇士を見よ。

熾烈(しれつ)なる火力

のもとに携行せる機材で

到底破壊し得ぬ鉄条網も、

大和民族の偉大なる精神

の力の前には木っ端みじん

である」

これは説明がいると思うが

第一次上海事変でもって、

日本軍は上海で国府軍と

戦うのだ

その国府軍が大きな

鉄条網をずっと引いていて、

向こう側にいて機関銃を

撃ってくるのだ

それに対して日本軍は

歩兵が突撃してこれを

やっつけたいわけだが、

鉄条網があるから

やっつけられないのだ

そこで工兵が3人1組で

大きな破壊筒というものを

持って突撃していって、

それに点火して、そして

爆発させて、その鉄条網を

壊して、そこへ歩兵が突撃

するという作戦を取るのだ

非常に危険な仕事で、

軍隊ではあるのだが

これを志願でやったのだ

3人1組だから、何人か

の者が志願して、その中

に江下、北川、作江

という福岡の第18工兵

大隊の3人の上等兵がいた。

この3人の上等兵が破壊筒

を持って、それで鉄条網

まで取り付いて、

それで点火をして爆破

させるのだが、なかなか

それがうまくいかないのだ

点火して、本当は置いて

帰ってくるわけだが、点火

はしたのだけれど逃げよう

と思っても

それが敵の機関銃でもって

動きが取れないのだ

ということで、そのまま

では向こうに当てに行けない

から、3人でその破壊筒を

思ったまま鉄条網に取り付いて、

そこでバーンと爆発して

3人は木っ端みじんに

戦死したのだ

けれども、鉄条網は破壊され

そこで歩兵が突撃してその

戦争に勝つということが起こった

のだ

これを陸軍大臣だった

荒木さんは聞いて、

「爆弾三勇士」

という名前をこの3人に

付けるのだ

3人は当時、兵長という

階級がないので、一等兵

だったのだが、

2階級特進して上等兵を

通り越して伍長という階級に

なったのだ

それで荒木さんは何と、この

3人の遺族の自宅を1軒1軒

回って慰労したということ

なのだ

その時の写真も映像も

残っているはずなのだ

というこの爆弾三勇士の話を、

彼自身としては陸軍大臣として

胸に迫ったと思うが、

まずこの話を書いて、そして、

「大和民族の偉大なる精神だ。

これを取り戻さないといけない

んだ」

ということを、第1において

強く言っているのだ

そして彼がここで言いたい

のは、天皇中心の国家観、

こういうものを大事にして

いかなくてはいけない

ということなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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