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したんじゃ

どうも村田です

下士官はどういう

ふうになっているのか

について説明するのだ

徴兵検査を受けて入営

するのだ

よく軍隊に入ることを

「入隊」と言う場合が

あるのだが、現実には

「入営」と言うのだ

これは内務班に入る、

営庭に入るという意味で

入営と言うのだ

入隊という言い方は

絶対にしないとは言わない

が、まずしないのだ

今の自衛隊は入隊と

言うけれど、戦前の

陸軍では入営と言うのだ

第1期、第2期の検閲を

受けて上等兵になる者は

優秀者であるということを

言ったが

その中にさらに優秀な

者を下士官候補者とするのだ

ただし、これは本人が

希望しなければ上等兵の

まま2年兵をやって除隊

なのだ

本人が希望した場合、

当時は農家の次男、

三男などで、家を

継がなくてもいい、

あるいは家では厄介者に

されているという中で、

下士官候補者に指名

されて本人も希望すると、

2期検閲が終わった後、

だから大体9月か10月の

時点でもって下士官候補者

に指名され

嚮導団(きょうどうだん)

というところに入るのだ

嚮導団(きょうどうだん)

というのは、今では

「教える」という字を書く

のだが、正しくは

「響く」「交響楽」の

「響」だが、あの下は

「音」という字を書くが、

あの代わりに「向かう」

というという字、

「こっち、向こう」の

「向こう」という字を

書き

嚮導団(きょうどうだん)

に入るのだ

嚮導団(きょうどうだん)

で1年間教育を受けて、

原隊に伍長として復帰

するのだ

自分が伍長に復帰した

時は、自分の同年兵は

ちょうど除隊してるのだ

そして、自分の同年兵が

古兵だった時の初年兵は、

古兵になっているわけ

なのだ

だから、知っている者は

兵隊さんにはいない

ということになり

そこで下士官、内務班長

として勤務を始めるのだ

だから、最も若い伍長は

22歳ということになり

彼らは軍人としてこれから

生きていくことになるのだ

早いと25歳ぐらいで軍曹に

なり、戦争中はもっと早く

なったのだ

30歳ぐらいで曹長になり、

30代半ばで特務曹長に

なったのだ

特務曹長、後の准尉だが、

これは歩兵中隊では人事係と

給与係の2人がいたが、

兵隊さんの神様と言われて

いたのだ。

下士官になるにはほかにも

道があるのだ

第1期検閲が終了した

時点で、旧制の中学校

以上の卒業生で、学校

訓練の検定に合格した者、

当時は中等学校、

これは今の高校なのだが、

中等学校とは

中学校と商業学校、

工業学校、農業学校、

あるいは師範学校

という所が、全部

中等学校に入るのだ

この中等学校で、男性の

場合には全員教練という

軍事訓練が行なわれて

いたのだ

これは大正時代以降

行なわれるようになった

のだが、この時の試験で

合格した者には幹部候補生

試験を受ける資格が生じた

のだ

これは強制ではなくて、

希望すれば受けられる

というものなのだ

支那事変以降は

ほとんどの者は受けられる

ようになったのだが、

幹部候補生試験を受けて

成績のいい者を甲種幹部

候補生、通常「甲幹」と

言うのだ

いまいちだったものは、

乙種幹部候補生、「乙幹」

と言うのだ

甲種幹部候補生として

予備士官学校に入校させ、

甲種幹部候補生に

ならなかった者を

乙種幹部候補生として、

嚮導団(きょうどうだん)

に入団させたのだ。

それぞれ1年間の教育を

受けて、甲種幹部候補生は

少尉、乙種幹部候補生は

伍長に任官しましたのだ。

ほかにも道はあるのだが

下からのたたき上げが

それなのだ

昭和12年に支那事変が

始まると、戦時体制となり、

部隊も戦時編制になった

のだが、

兵は召集できるとしても、

将校や下士官は簡単に

要請できないのだ

戦時だから、選抜試験を

やって

嚮導団(きょうどうだん)

で教育するという時間的

余裕もないのだ

そこで、上等そこで、

上等兵の中から優秀者を

兵長にし、その中から

さらに伍長を経験等に

基づいて任命したのだ。

この体制は昭和20年の

終戦まで続いたのだ

だから、終戦時の

下士官の多くは、

こうしたたたき上げの

人が多かったのだ

少年兵学校という

ものがあったのだ

そこを卒業して

下士官になる道も

あったのだ

当時、15歳から19歳

未満で、募集に応じて

採用試験を突破した

者が召集、採用された

のだ

後に14歳以上に、年齢が

1つ繰り下げられたのだ。

航空では、東京陸軍

飛行学校で一定の教育を

受けた後に、宇都宮や

熊谷の飛行学校で

2年程度の訓練を積んで、

卒業後2ヶ月して伍長に

任官したのだ。

昭和8年には生徒の

募集が行なわれ、昭和15年

からは「少年飛行兵」

の名称になったのだ

大東亜戦争中の陸軍航空の

中核を成す存在となって

いったのだ

海軍の予科練、予科

飛行練習生があるが、

あれの陸軍版だと

考えればいいと

思うのだ

ほかに少年戦車兵学校、

少年通信兵学校という

ものもあったのだ

少年戦車兵学校は

昭和14年に開校、

2年間の教育の後に

伍長に任官したのだ。

同じく少年通信兵学校は

昭和17年に開校し、

同じく2年間の教育の

後に伍長に任官したのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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