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なっとるんじゃ

どうも村田です

7個師団でもって日本が

発足した、連隊の数も

60ぐらいしかなかった

という話をしたが、

昭和20年の終戦時は何と

6個総軍があって、

その下の方面軍は

北支派遣軍と南支派遣軍を

含めて、

第1方面軍から第18方面軍

まで、20個方面軍があり

さらにその下の軍は、何と

65個あったのだ

第1軍から第59軍までと、

航空軍が6つあって、全部で

65個軍があったのだ

日清戦争の時は2個軍しか

なく、日露戦争の時も

4個軍しかなかったと

思うのだ

鴨緑江軍を含めて5個軍だが、

それが何と65個軍にもなった

のだ

師団の数は終戦時355で

連隊の数は1,000を超えて

いると思うのだ

総数は600万人になり

これだけ多くの軍隊を

終戦の時は抱えていた

ということになるのだ

それでは、兵隊さん、兵に

ついて説明していきたいと

思うのだ

明治6年に徴兵令が出され

その前の明治4年に廃藩置県

が行なわれ、

太政官は国民皆兵の必要性

から満20歳になった男子から

選抜して3年間の兵役を

課すことにしたのだ。

徴兵令はその後も何回か

改正されたが、場合に

よっては一人っ子、

あるいは家を継ぐべき長男、

あるいは一定の金額を払った

者といった人たちは徴兵の

対象から外されたのだ

明治31年までは北海道の松前、

それから江差、函館、この

地域を除いた北海道、それと

沖縄県では徴兵は実施されて

なかったのだ

このため、徴兵逃れのために

本籍地を北海道や沖縄県に

移す人がいたのだ

明治31年からは全北海道と

沖縄県でも徴兵が実施される

ようになり

徴兵年限は3年だが、その後は

実質的に2年に短縮されたのだ

徴兵令は昭和2年、兵役法に

改められ、以後、終戦の昭和20年

まで施行されたのだ

兵役法では現役は2年、

予備役は5年、さらに

後備役が10年と決められた

けれど、

すべての男子が兵役に就く

わけではないのだ

ちなみに、予備役5年、さらに

後備役10年は、後に予備役に

一本化され

平時の場合、20歳になる年に

すべての男児に徴兵検査を行ない、

甲種合格者の中から必要な

人員を役場の兵事係がくじで

兵隊に就く者を選び出していた

のだ

本当にくじでやっていたのか

どうかというのは、今でも

いろいろと言われているけれど、

とりあえず建前としては

くじで兵隊さんを選び出して

いたのだ。

甲種合格以外には、

第一乙種合格、第二乙種合格、

丙種の合格があったのだ、

さらに当然だが不合格が

いたのだ。

不合格者というのは障害の

ある人、それから結核や性病

にかかっている人は不合格者

になったのだ

陸軍というのは、海軍もそう

だが、集団で行動するから、

性病と結核、肺病はもの

すごく忌み嫌って、

実際に性病にかかっていないか、

結核にかかっていないか、

肺病にかかっていないか

というのは、大変厳しい徹底

した検査をしているのだ

だから、第一次で合格しても、

軍隊に入ってから疑わしいと

思って除隊させられた人は

たくさんいるのだ

選ばれた人は基本的に

本籍地に近い連隊に

入営するように通知がきて、

翌年の1月10日に入営

するのだ

平時は1月10日に入営する

のだ。

1月8日が陸軍記念日で、

その2日後の1月10日に入営し

近衛兵だけは前年の12月に

入営するのだ

なぜ近衛兵だけ早く入営

するかというと、一般の

部隊というのは平時の場合

にはこれを絶対やらない

といけないということは

特になく、

訓練だけすればいいのだが、

近衛兵の場合には実際に皇居、

当時は宮城(きゅうじょう)

と言ったが、

宮城(きゅうじょう)を

守衛する義務があるから、

毎日皇居に行って、

交代任務に就くのだ

従って、隙があっては

いけないから、必ず12月に

初年兵が入って、11月の末に

除隊するという体裁を

取っていたのだ

選抜されなかった人、

要するに合格はしたけど、

入営しなかった人たちは、

国民兵としてリザーブ

されることになるのだ

こういう人たちは、後に、

例えば実際に戦争が起こると、

召集令状が来て軍隊に入る

ことになるのだ

兵隊の生活について見て

いきたいと思うのだ

これは、昭和の平時の

歩兵連隊を例にとって話を

するのだ

兵は入営すると中隊の中の

内務班に配属されるのだ

全員が二等兵の階級を付け

内務班は、約20人で構成され

10人が新兵の二等兵、

残り10人は前の年に入営した

2年兵なのだ

だから、その年21歳になる人と

22歳になる人によって、原則

として構成されていたのだ。

大学を出たりした人は少し

その分遅れてというか、

猶予されているから遅れて

入ってくるけれど、

大体そういうようにして、

10人が21歳になる新兵さん、

残りの10人が22歳になる

2年兵さんなのだ

2年兵のことは「古兵」と

呼ばれるのだ

2年兵は一等兵の階級章を

付けているが、10人のうち

2人ぐらいが上等兵の階級章

を付けているのだ

この2人ぐらいの上等兵の

階級章を付けている人たちは、

成績優秀者で、一等兵を

飛ばして上等兵になって

いるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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