どうも村田です
自分たちの国を守ろう
とする意志が強いと
いうことが大事なのだ
そういう意味で、
日本の場合には、まず
国家とは何かという
ところから考える必要が
あると思うのだ。
この「国家とは何か」
ということは、国を失った
私のような人間にならないと
理解できないことがあるのだ
例えば、日本の皆さんは、
日ごろ「私は民族主義者
じゃない。
私は愛国もいらない」と
言っている人でも、
サッカーの試合になったら
熱くなるではないか
日本を応援するではないか。
日ごろはお子さまランチに
しか使わない国旗も、
そういう時はきちんと国旗
として上がると、みんな
感情的になるではないか。
本来、私たちはみんなそれを
持っているはずなのだ
しかし、残念ながら日本の
場合には、当時の国際情勢の
中において、アメリカでさえ
も強い日本は望まなかったのだ
そして、たった7年間の
アメリカの占領下において、
日本はほとんど骨抜きに
されてしまったのだ。
骨抜きになったのは、私から
するとましで、もしこれが
中国だったら、骨まで
しゃぶるというか、
今、私たちの言語を奪って、
宗教も奪って、アイデン
ティティーを奪おうと
しているのだ
国を守るということは、
そういうアイデンティティー
を守るということなのだ
だから、僕が言っている
「国民が自分たちの文化を
守る。自分たちの
アイデンティティーを守る」
ということは、
別にすべての国民が鉄砲を
持って戦いに行く必要は
ないのだ
自分たちの国の歴史、
自分たちの国の正しい歴史を
認識して、そして他に対しても
それを説明できるようにする、
これもある意味で自己防衛で
立派な防衛なのだ
日本という国が存在し、日本
という国はこういう歴史を
持っている、
あるいは何度も言っている
ように、日本の言葉で
私は日本ほど特に人間の
感情を表せる、
いろいろな言葉がある国は、
あまりないと思うのだ。
そして、日本は幸いにして、
長い間周りの海によって
守られてきたのだ。
しかし、今はそういう時代は
終わり、船も飛行機も、そして
今はさらにサイバー、
あるいはドローンの時代に
なり、そうすると、私たちが
国を守るということは、
私たち一人一人が自分たちの
意識を持って守るしかない、
自分たちのアイデンティティー
を大切にするしかないのだ
私は40年間、日本に難民
パスポートで滞在したのだ。
最初の何年間は、6ヶ月ごとに
パスポートを更新しなければ
ならなかったのだ。
つまり、私は6ヶ月の先が
どうなるかは分からないのだ
もし日本から「ビザを出さない」
と言われたら、日本を去って
行かなければならないのだ
やがて1年のビザになり、
それから3年のビザに
なり、それでもまだ3年後
どうなるか分からないのだ
例えば、国際会議があって、
学術会議があって、そこで
参加しようと思っても、
「難民パスポートだったら
ここの大使館でビザは出せない」
と言われて、
1回本国に送って、そうすると
ビザが下りたころにはもう
会議が終わっているのだ
日本のパスポートを持って
いれば、世界中どこへ行っても、
ほとんど空港でビザを取れる
ことが多いのだ
それは日本という国が
日本人を守っているから、
そして日本の先輩たちが
頑張って日本を経済的に
豊かな国にしたから、
相手の国に居座ることの
心配がないから、相手の国は
入れるのだ。
日本国のみならず、
パスポートには
「このパスポートの保持者
に対して便宜を図ってください」
と外務大臣が書いているのだ
しかし、難民パスポートは、
何も悪いことをしなくても、
空港に着いたらまず
「こんなパスポート見たこと
もない。ちょっと待って」
と言われて別の部屋に連れて
行かれるのだが、
どんなに屈辱的なことだろうか。
周りから見ていると、
「もしかしたらこいつは麻薬
でも持ってきたかな」と思って、
連れて行かれていると思うのだ
そういうことが、国を失って
初めて分かると思うのだ
何の保護もないのだ
例えば、飛行機がどこかに
落ちたとする。
そうすると、ニュースは
「『邦人はいないみたいです』
と大使館が言った」と
報道するのだ
あの時代に、もし私が落ちたら
無国籍で、今も私は記念の
ために無国籍の運転免許証を
持っているのだ
無国籍というのはこういう
ものなのだ。つまり無国籍
というのは、どこの国の
保護も受けられないのだ
かつては、例えば国際スパイ
とか、そういうのがわざわざ
無国籍になったのだ
しかし、私たちの場合には、
自分の国を奪われて無国籍に
なったのだ
だから、日本の場合には
国の保護を受けている、
国があることによって自分が
どんなに幸せかということを、
多分感じ取っていないのだ
それはやはり第2のチベット
にならないための大事なこと
だと思うのだ
「いざという時に、自分たち
の国を自分たちで守る」
という気持ちがあれば、
別に強い軍隊をつくらなく
てもいいかもしれないのだ
しかし、そうでない限り
「私は戦争をしません」
と言って、
「じゃあ、私はあなたを
襲いません」という国は
ないのだ
要するに、狙われるのは
相手が狙いやすいような
環境をつくっている、
相手は「いける。勝てる」
と思って侵略してくるのだ
だから、私は今皆さんが、
例えばGDP2%に防衛費を
増強したら、どこから
予算を算出するかとか、
いろいろ言っているが
しかし、自分たちの命を
守ってくれる、自分たちの
国を守る、そのための
2%なのだ
それ以外のところで多分
無駄なところはたくさん
あると思うのだ
そういうことに対しての
優先順位というか、
まず生きるということは、
私たち人間は誰も大事だと
思うのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる