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思ってたんじゃ

どうも村田です

「チベットを奪った

中国の脅威」に

入るのだ

中国の脅威というのは

どういうふうに考えたら

いいかというと、

1949年に中華人民共和国

という国が大陸の中に

できたのだ。

その前に日本人に理解

してもらいたいのは、

日本人は「広い中国」とか、

「中国5,000年の歴史」

ということをよく言うのだ。

1回、地図をご覧になって

ほしいのだ。

あるいは、自分たちの

先祖が、かつて中国大陸

で戦ったことを思い出して

ほしいのだ。

日本が中国大陸で戦争を

した。しかし、われわれは

中国ではないので、

戦争をしていないのだ

日本人を殺していないし、

日本人からも殺されてない、

そういうチベットという

国があったのだ。

しかし、1949年に

中華人民共和国という国が

成立してから、毛沢東は

「わが祖国の完全な

復興ができていない」

ということを言って

かつて、彼らが言う中国の

王朝、それも本当は中国は

24回王朝が変わり

その中で中国人の王朝

というのは少ないのだ

例えば、最近で見たら、

清朝も満州人の王朝なのだ

民だけが中国人で元は

モンゴル人なのだ。

モンゴル人が中国を侵略

してつくった王朝で

中国がモンゴルを侵略した

わけではないのだ

満州も同じで

しかし、孫文から新しい

「中華」という言葉が

できたのだ。

それはなぜかというと、

孫文はハワイを中心に

アメリカに長くいたのだ。

彼は

「アメリカ合衆国みたいな

国を中国でつくりたい」

と言っていて、

彼の最初の目的は打倒清朝

つまり、満州人の王朝を

倒すことなのだ。

毛沢東はかつて一度でも

中国に対して朝貢外交を

やったり、あるいは

「何らかの形で関わりを

持って、影響力を持った

すべての領土・領海は

中国のものである

という発想なのだ

それに従って、中国は

1949年に中華人民共和国が

成立したのだ

その後、ちょうど今回

ロシアがウクライナに

入ったのも同じような

理屈なのだ。

歴史的に自分たちの一部

であったということなのだ

そして、同じような理屈で

それを解放する、あるいは

取り戻すというような

言い方をして入ってきたのだ。

特にチベットへの侵略と

いうことよりも、中国の

脅威ということの話なのだ

その中国の脅威というのは、

例えば今私たちは、中国が

世界覇権を狙っていることに

対して反対しているのだ

歴史上、常に覇権国家が

あったのだ。

古代ギリシアから今日まで、

必ず覇権国家があったのだ

しかし、なぜ中国が世界の

覇権をとったらよくないのか、

それは例えば英国から

アメリカに、

第二次世界大戦後に変わり

それまでは英国が大体世界の

覇権国家だったのだ。

先の戦争で一番負けたのは

英国で、南アジア、インドシナ、

インドシナはフランスもいた

けれど、

あるいはマレー半島、

こういう全部の国を英国は

失ったのだ。

代わりに、アメリカが

第二次世界大戦後の世界の

覇権国家になったのだ

しかし、英国もアメリカ

も民主国家で、少なくとも、

こうやって私たちのように

自由にしゃべれるという

社会なのだ

しかし、もし中国が世界の

覇権国家になったら、

そういう当たり前の自由が

なくなるのだ

例えば、日本にはお寺、

神社があるが、多分交番の数、

あるいはコンビニの数よりも

多いと思うのだ。

それらのお寺、神社は、

自由に自分たちで活動も

できるし、

そこの信者の人たちも

自由に出入りできるのだ

今、中国の中においては、

そういう教会、あるいは

モスク、あるいは寺院には、

必ず共産党の人を1人、

監視役という形で入れ

なければならない、

そして15歳以下の子どもは

信仰を持ってはならない、

お寺に連れて行っては

いけないのだ

もし、こういう国が世界の

1つの覇権国家になったら、

これは極めて大きな脅威なのだ

まずは人間と同じように

国にも癖があるのだ

中華人民共和国という国が

できて以来、一番最初に

インドはいち早く中国を

承認したのだ。

いわゆる中華人民共和国が

成立した時に、中国を承認

したのだ。

そして、友好条約を結び

ソ連は、それこそ

中華人民共和国成立に

一番貢献したのだ

武器援助もしたし、軍事援助

もしたし、そして

中華人民共和国ができるに

当たって全面的に応援したのだ。

そして、ベトナムも同じ

共産主義国家で、かつて

アメリカと戦う時は中国も

ベトナムに対して協力して

いたのだ。

しかし、その後、領土問題で

中ソも対立をし、軍事衝突

したのだ。

インドと中国は、3回に

わたって戦争をしたのだ。

それも領土拡張の問題で

第1回目は、インドはボロ

負けしたのだ。

なぜかというと、インドが

独立した時の初代の首相の

ネルー、

それと中国の首相の周恩来、

この2人が1954年、いわゆる

平和5原則に基づく

「お互いに内政干渉をしない。

お互いに不可侵、お互いに

侵略をしない」という約束を

したのだ。

それにもかかわらず、1962年、

いきなりインドに中国軍が

入り

そして、インドはボロ負け

したのだ。なぜかというと、

インドは

「中国が侵略してこない

という条約を結んだ」と

思っていたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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