どうも村田です
普段日本人自身があまり
気にしていない言葉で、
実際は非常に哲学的な
ものがたくさんあるのだ
例えば、1965年12月に
日本に来た。
日本に来て3ヶ月ぐらいの
時に、ある試験で少しいい
点を取って調子に乗って、
タッタッタッとスポンサーの
所に行こうとした時に、
途中で先生に会ったのだ。
先生が「どうした?」
と言ったので、
「こういうことでスポンサー
の所に報告に行きます」と
言ったら、
先生は
「そうか良かったね。
これからスポンサーの所へ
行って、
『おかげさまで高校生に
なりました』って言いなさい」
と言ったのだ。
急いでいるから「はい」と
言ったのだが、しかし何歩か
歩いたら
「私が頑張ったのに
『おかげさま』と言うのは
ちょっとおかしい」
と思ったのだ。
少し恥ずかしいなと思って、
その時に一応先生から言われた
から、先生から言われた通り、
「おかげさまでこうなりました」
と言ったけれど、ずっとその後に
「これは何となく相手に対して
お世辞みたいで、実際私が
頑張ってるのに」と思ったのだ
しかし、よくよく考えてみると、
日本に来る前にインドと
パキスタンが戦争をしていたのだ
だから、勉強部屋は、ずっと
新聞を貼ったりして、夜に
なると爆弾が落とされない
ように隠さなければ
ならなかったのだ
そして、停電は当たり前で
そのような環境から、
「私が日本という停電のない
社会で勉強ができたのも
おかげさまだし、そして
私を日本に呼んでくれて、
勉強をする機会を与えた
のもおかげさまだ」
ということで、
それ以来、日本の
「おかげさま」という
言葉が非常にいいと思ったのだ
昔は、「お元気ですか?」
と言ったら、
「はい、おかげさまで」
と言っていたのだ。
それから、ある日本の
ボクサーが
「初めて自分を褒めたい」
とか、
ある日本のマラソン
ランナーが
「初めて自分を褒めたい」
と言ったけれど、
それまでは、例えば
ボクサーなら、相手を
負かして勝った、
チャンピオンになったら、
「皆さんのおかげ」という
ふうに、よく
「おかげ、おかげ」と
言っていたのだ
実際こうやって生きている
時に、空気を吸っている
ことに対して感謝をして
いないのだ
しかし、人間にとって
食べることはもちろん大事で
寝ることも大事で
そして、着ることも大事で
安心して寝る場所がある
ことが大切で
しかし、空気がなかったら、
私たちは多分数分間の寿命
なのだ
それに対して、私たちは
普段あまり感謝をしていない
だから、こういうような日本の
「おかげさま」という言葉が
素晴らしいと思ったのだ
その次に、「行ってきます」
「ただいま」という言葉、
これも素晴らしいのだ
私たちは朝家を出て、必ず
うちに帰るという保証が
ないのだ
昔も同じで
「行ってきたら、必ず生きて
帰ってきます」ということで
「行ってきます」、
そして
「ただいま帰りました。
無事帰りました」と、
こういう日本語のさりげない
言葉が素晴らしいと思うのだ
それから、日本の良さと
いったらきりがないのだ
とりあえず15分間で日本の
良さを話すと、そのほかに、
例えば日本の皆さんは
そろそろ年賀状を送るのだ
これも最近人によっては、
「年賀状は不要だ」
と言うようなことを言って
いるけれど
日本人がよく言葉にする
「つながり」とか、
そういうことをよく言うが
人間同士のつながり、
コミュニケーションが大事だ
とか、それであれば、たった
63円ぐらいのはがきで自分たちの
友情、友達、親戚、あるいは
商売の相手との関係を維持
できるということで、
この年賀状は素晴らしいと
思うのだ。
今でも自分が日本に来て
初めて友達になった人とか、
あるいはその時の先生、
その先生方は今はいなく
なったけれど、ずっと
年賀状のやりとりをして
きたのだ。
毎年会っていなくても、
そういうつながり、絆と
いうことを維持するのに、
日本の年賀状という制度が
本当に素晴らしいと思うのだ
それから、日本の言葉で
例えば、「私」という
自身に対して、
「俺、手前、僕」という、
いろいろな言い方があり
それがすべて人間関係に
よって使い分けをするのだ
そういうことに対して、
いつの間にか日本は
全部フラットにやろう
ということを言ってるのだ
しかし、私はやはり日本の
「私、俺、僕」という言葉、
そういう自分自身に対しても
たくさんの言い方がある、
相手に対してもいろいろな
言い方がある、その中に
おいて人間関係ということを
表しているのだ。
だから、私たちにとって
社会的動物として人間社会に
生きていくためには、やはり
自分との関係をきちんと明確に
するということが非常に
大事だと思うのだ。
そういう意味で、日本の
そういう言葉、年賀状とか、
あるいは謙遜、あるいは
自分自身を謙虚にする、
自分自身を下げて相手を
立てる言い方、そういうこと
が多分日本ならではだと思うのだ
もちろん、英語にも全く
ないわけではないのだ。
特に英国英語にあり、
アメリカ英語は、もともと
プロテスタントの人たちが、
ある意味でその体制に対して
反対する立場だから、
何でもフラットになることが
アメリカなのだ
しかし、本来のヨーロッパで
は伝統がある、何千年の
ヨーロッパにも伝統があるから、
言葉にも相手に対する使い方
だとか、自分自身の表し方とか、
そういうことがいろいろあるのだ
しかし、日本語は非常に豊富で
それからもう1つは、日本語の
場合にはわびとさびをはじめ
として、
悲しい、むなしい、こういう
人間の気持ちを表す言葉も
非常に豊富だと思うのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる